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『ドラえもん』の声でおなじみの水田わさびさんが、若い頃はどんな人だったのか、気になって検索する人は多いです。
実は水田わさびさんは、子供のころから人前で表現することが大好きな、根っからのエンターテイナーでした。
そして、ある声優への強い憧れをきっかけに、三重県から上京して夢を追いかけます。
この記事では、水田わさびさんの少年時代ならぬ少女時代から、声優デビュー、そしてドラえもん役を射止めるまでの若い頃の歩みを、やさしくまとめます。
目次
水田わさびの若い頃はどんな人?生い立ちと声優への道
| 出身はどこ? | 三重県の出身 |
| 声優を志したきっかけは? | 野沢雅子さんの演技への憧れ |
| 上京後はどうした? | 劇団に入り下積みを経験 |
| デビューのきっかけは? | 先輩声優からの誘い |
まずは、水田わさびさんがどんな子供時代を過ごしたのかから見ていきましょう。
小学生で芽生えた表現好き
水田わさびさんが表現の楽しさに目覚めたのは、なんと小学生のころだといいます。学校の音読の時間に、みんなの前でかっこつけて標準語を使って読むのが大好きな子供だったそうです。
恥ずかしがって声を出さない子も多い中で、堂々と読み上げることを楽しんでいたというのですから、生まれながらの表現者だったといえます。ときには男子から冷やかすような目で見られることもあったそうですが、それでも演じることの楽しさは少しも揺らぎませんでした。
人前で表現することを「恥ずかしい」ではなく「楽しい」と感じられる。この感覚こそ、のちに声優として大成するための、何よりの素質だったのでしょう。
子供のころの何気ない「好き」が、その人の将来を決めることがあります。水田わさびさんにとっての音読の時間は、まさに夢の出発点だったといえます。三重県の小学校で芽生えた小さな表現好きが、のちに国民的キャラクターの声へとつながっていくのです。
周りの目を気にせず、好きなことに夢中になれる素直さも、水田わさびさんの魅力です。冷やかされても表現をやめなかった芯の強さは、のちに下積みの苦労を乗り越える原動力にもなりました。子供時代から一貫して「演じることが好き」という気持ちを持ち続けてきたことが、長いキャリアを支える土台になっているのでしょう。
野沢雅子への憧れと上京
表現好きの少女が声優を本格的に志すきっかけになったのは、『ドラゴンボール』で孫悟空を演じた野沢雅子さんの演技への憧れでした。その圧倒的な表現力に、強く心を動かされたのです。
野沢雅子さんは、少年キャラクターを長年演じ続けてきた声優界のレジェンドです。年齢や性別を超えて役に命を吹き込むその姿は、水田わさびさんにとって大きな目標となりました。
そして高校を卒業した水田わさびさんは、夢を追って三重県から上京します。地方から出てきて芸の世界に飛び込むのは、大きな決断だったはずです。それでも、憧れの気持ちが背中を押しました。
上京後、水田わさびさんは劇団すごろくに入団します。華やかな舞台にすぐ立てたわけではなく、ここから長い下積みの日々が始まります。憧れを現実の夢へと変えるための、地道なスタートでした。
地方から都会に出て夢を追うというのは、想像以上に勇気のいることです。慣れない土地で、安定した道ではなく芸の世界を選ぶ。その決断には、表現することへの本気の思いがあったはずです。夢に向かって一歩を踏み出した若い頃の選択が、のちのすべての始まりだったといえます。
裏方・舞台女優としての下積み
劇団に入った水田わさびさんですが、最初から脚光を浴びる役者だったわけではありません。しばらくは、舞台を支える裏方の仕事をこなす日々が続きました。
裏方の仕事は地味で根気のいるものですが、舞台がどう作られていくのかを間近で学べる貴重な経験でもあります。水田わさびさんは、こうした下積みの時間の中で、表現の土台をじっくりと育てていきました。
その後、水田わさびさんは舞台女優として、自ら舞台に立つようになります。声だけでなく、体全体を使って役を演じる舞台の経験は、のちの声優としての表現力にも大きく生きていきました。
順風満帆とは言えない下積み時代を、水田わさびさんは腐らずに歩み続けました。生活のためにアルバイトをしながら劇団活動を続けるなど、決して楽な道のりではありません。それでも夢をあきらめなかった粘り強さが、のちの飛躍を支える力になったのです。
舞台は、観客の反応がその場で返ってくる緊張感のある世界です。生の舞台で鍛えられた表現力や度胸は、声優として収録現場に立つときにも大きな武器になります。回り道に見えた下積みの一つひとつが、実は水田わさびさんの芝居の幅を広げる栄養になっていたのです。
たてかべ和也との出会い
水田わさびさんの人生を大きく動かす出会いが、舞台女優時代に訪れます。彼女の舞台を見にきていた、声優のたてかべ和也さんとの出会いです。
たてかべ和也さんは、『ドラえもん』でジャイアンを演じていた大先輩の声優でした。水田わさびさんの表現力に目をとめたたてかべ和也さんは、声優の仕事を勧めます。この一言が、彼女の進む道を大きく変えました。
その勧めをきっかけに、水田わさびさんは1996年から声優の仕事も手がけるようになります。舞台で培った表現力を、今度は声の世界で発揮していくことになったのです。
人との出会いが運命を変えるとよく言いますが、水田わさびさんの場合もまさにそうでした。たてかべ和也さんとの出会いがなければ、のちのドラえもん役もなかったかもしれません。若い頃にまいた努力の種が、思いがけない縁を呼び寄せたのです。
興味深いのは、声をかけてくれたたてかべ和也さんが『ドラえもん』のジャイアン役だったという点です。のちに水田わさびさんがドラえもん役を射止めることを思うと、この出会いはまるで運命の伏線のようにも感じられます。下積み時代に誠実に芝居と向き合っていたからこそ、先輩の目に留まったのでしょう。地道な努力は、ちゃんと見てくれている人がいるものですね。
水田わさびの若い頃から現在までの歩み
下積みを乗り越えて声優になった水田わさびさんは、その後どのように大役をつかんだのでしょうか。若い頃の努力が実を結ぶ瞬間を見ていきます。
ドラえもん役を射止めるまで
声優として経験を積んだ水田わさびさんに、人生最大のチャンスが訪れます。2005年、長年ドラえもんを演じてきた大山のぶ代さんの後任を決めるオーディションです。
このオーディションへの挑戦を後押ししたのも、出会いのきっかけをくれたたてかべ和也さんでした。先輩の励ましを受けて、水田わさびさんは大役のオーディションに挑みます。
何度かの選考を経て最終オーディションに進み、扉が開くとカメラが構えていて、「あなたです!!」と合格が告げられたといいます。その瞬間、水田わさびさんは感極まって号泣しました。下積みと努力の末につかんだ、国民的キャラクターの声でした。
その合格の様子は夕方のニュースでも放送され、新しいドラえもんの誕生として大きな注目を集めました。長く親しまれた声からの交代という重圧の中、水田わさびさんは年月をかけて自分のドラえもんを築き上げていきます。
国民的キャラクターの声を引き継ぐというのは、計り知れないプレッシャーがあったはずです。それでも水田わさびさんは、明るく前向きにその役割を担い続けてきました。憧れの野沢雅子さんがそうであったように、年齢や性別を超えて愛される声を届けています。若い頃の苦労があったからこそ、その声に温かみと深みが宿っているのです。
芸名の由来など若い頃のプロフィール
水田わさびさんは1974年8月4日生まれ、三重県の出身です。血液型はO型、身長は158cmほどと紹介されています。所属事務所は賢プロダクションです。
「水田わさび」という名前は芸名で、本名は公表されていません。この芸名は、師匠である声優の緒方賢一さんが名付けたものだといわれています。実家にわさびが自生していたという話から、「わさびちゃん」、そして「わさびは水田に生える」という発想で「水田わさび」が生まれたそうです。
若い頃から、明るくユーモラスな人柄で周囲に愛されてきた水田わさびさん。ユニークな芸名は、そんな彼女の魅力をそのまま表しているようです。一度聞いたら忘れられないこの名前も、声優として広く親しまれる大きな武器になりました。
所属する賢プロダクションは、芸名を名付けた緒方賢一さんとも縁のある事務所です。師匠とのつながりが、芸名だけでなく活動の場にも続いていることがうかがえます。若い頃から人との縁を大切にしてきた水田わさびさんらしい歩みです。
下積み時代の苦労や、表現好きだった少女時代を知ると、現在の優しいドラえもんの声にも、いっそう親しみを感じられます。若い頃の歩みのすべてが、今の水田わさびさんを形づくっているのです。
水田わさびの若い頃についてまとめ
- 水田わさびさんは三重県出身で、小学生のころから表現好きだった
- 野沢雅子さんへの憧れから声優を志し、高校卒業後に上京した
- 劇団で裏方や舞台女優として下積みを経験した
- 先輩声優のたてかべ和也さんの勧めで1996年から声優活動を始めた
- 2005年にドラえもん役を射止め、合格の瞬間に号泣した
水田わさびさんの若い頃は、表現が大好きな少女が、憧れと出会いに導かれて夢をつかむまでの物語でした。下積みの苦労を乗り越えてきたからこそ、今の温かいドラえもんの声があります。原点を知ったうえで作品を見ると、その声がいっそう味わい深く感じられそうですね。

