記事内で紹介する商品を購入することで、当サイトに売り上げの一部が還元されることがあります。
LUNA SEAのギタリストとして、そしてバイオリンも弾く異色のロックミュージシャンとして知られるSUGIZOさん。
その若い頃がどんなものだったのか、気になる方も多いのではないでしょうか。結論からいうと、両親がともにプロの演奏家という音楽一家に生まれ、3歳からバイオリンを学んで育ちました。
クラシックの英才教育を受けた少年が、なぜロックの世界へ進んだのか。
この記事では、SUGIZOさんの若い頃を、生い立ちからLUNA SEAのデビューまでたどっていきます。
目次
SUGIZOの若い頃|音楽一家に生まれた少年時代
まずは、SUGIZOさんがどんな家庭で育ったのかを見ていきます。
- 両親はともにプロの演奏家
- 3歳から始まったバイオリン
- トランペットに惹かれた理由
両親はともにプロの演奏家
SUGIZOさんは、1969年7月8日に神奈川県秦野市で生まれました。
本名は杉原康弘(すぎはら やすひろ)さん。のちに杉原悠さん、そして現在は杉原有音さんへと改名しています。
まずは若い頃の歩みを整理しておきます。
| 本名 | 杉原康弘(現在は杉原有音) |
| 生年月日 | 1969年7月8日 |
| 出身地 | 神奈川県秦野市 |
| 父 | 東京都交響楽団のトランペット奏者 |
| 母 | 東京都交響楽団のチェロ奏者 |
| 3歳 | ヴァイオリンを学び始める(篠崎功子さんに師事) |
| 中学ごろ | トランペットを始める/ロックと出会う |
| 高校 | 神奈川県立伊勢原高等学校 |
| バンド | 高校時代に「Pinocchio」を結成 |
| 1989年 | LUNACYに加入 |
| 1992年 | LUNA SEAとしてメジャーデビュー |
まず注目したいのが、ご両親の職業です。
父はトランペット奏者、母はチェロ奏者。しかも2人とも、東京都交響楽団の団員でした。
日本を代表するオーケストラのひとつに、両親がそろって在籍していたことになります。趣味で楽器を演奏するレベルとはまったく違う、正真正銘の音楽一家です。
家のなかには常に楽器があり、練習の音が響いていたことでしょう。プロの演奏家が2人いる家庭ですから、音楽の話題も日常的だったはずです。
これは、かなり特殊な環境といえます。
多くのミュージシャンは、テレビやラジオ、あるいは友人を通じて音楽と出会います。ところがSUGIZOさんの場合、生まれた瞬間から音楽が生活の一部としてそこにあったわけです。
のちにロックバンドのギタリストとしてバイオリンを弾き、クラシックの素養を活かした独自のスタイルを築くことになりますが、その土台はこの家庭環境にありました。
ビジュアル系というジャンルのイメージからは意外に感じられるかもしれません。しかしSUGIZOさんの音楽性の根っこには、オーケストラの音があったのです。
生まれ育った神奈川県秦野市は、丹沢の山々に近い自然の豊かな街です。都心の音楽シーンからは少し離れた場所といえます。
ご両親は東京都交響楽団の団員ですから、仕事は都内が中心だったはずです。演奏会やリハーサルのために、日常的に長い移動をしていたことになります。
プロのオーケストラ奏者という仕事は、決して定時で終わるものではありません。夜の本番も多く、家庭のリズムも一般的な会社員の家とは違っていたでしょう。
なお本名は、これまでに何度か変わっています。杉原康弘さんから杉原悠さん、そして現在は杉原有音さんです。
「有音」という字が使われているのが印象的でしょう。音がある、と書きます。音楽とともに始まった人生を、名前そのものに刻んでいるようにも見えてきます。
3歳から始まったバイオリン
SUGIZOさんが楽器を手にしたのは、驚くほど早い時期でした。
3歳のときには、すでにヴァイオリンを学び始めています。
これは本人が望んだというより、父の意向によるものでした。3歳といえば、まだ自分で進路を選べる年齢ではありません。楽器を持たされた、という表現のほうが実態に近いでしょう。
師事したのは、篠崎功子さんです。日本のヴァイオリン教育において名の知られた指導者であり、本格的な環境で学んでいたことがわかります。
そして、練習は決して緩いものではありませんでした。
英語圏の資料によれば、父から1日3時間の練習を課されていたと伝えられています。幼い子どもにとって、毎日3時間を1つの楽器に費やすというのは相当な負担でしょう。
外で遊びたい年頃です。友達が公園を走り回っている時間に、家で弓を動かし続ける。そういう日々があったことになります。
この英才教育は、確かな技術をSUGIZOさんにもたらしました。現在のライブでバイオリンを演奏する場面がありますが、あの音色は幼少期の積み重ねの上に成り立っています。
ただ同時に、強制された練習には反発も生まれます。
親が敷いたレールの上を歩かされる感覚。好きで始めたわけではない楽器に、毎日長時間向き合う窮屈さ。そうした感情が、のちの音楽的な選択に影響していくことになりました。
若い頃のSUGIZOさんにとって、バイオリンは才能の源であると同時に、抜け出したい枠でもあったのかもしれません。
3歳から楽器を始めるというのは、音楽の世界では珍しいことではありません。特にヴァイオリンは、早期教育が有効とされる楽器の代表格です。
指の柔らかいうちに正しい形を覚えさせる。音程の感覚を、耳が育ちきる前に体に入れる。そうした理由から、幼児期からのレッスンが一般的に行われています。
つまりSUGIZOさんは、クラシック音楽の王道といえるコースに乗せられていたことになります。
両親がプロの演奏家である以上、その道の厳しさも将来性も、誰よりもよく知っていたはずです。息子に同じ世界を歩ませようとしたとしても、不思議ではありません。
ただ、当の本人がそれを望んでいたかどうかは別の話です。
与えられた環境と、自分が選びたいもの。この2つのずれが、のちの進路に大きく影響していくことになります。
トランペットに惹かれた理由
転機のひとつが、11歳から12歳ごろに訪れます。中学校に入るころのことです。
このタイミングで、SUGIZOさんはトランペットを始めました。父と同じ楽器です。
興味深いのが、その理由として語られている内容でしょう。
ヴァイオリンに比べてトランペットの「汚れた」イメージを好んだから、とされているのです。
これは感覚的な話ですが、言いたいことはよくわかります。
ヴァイオリンは、クラシックのなかでも特に高貴で洗練された印象を持つ楽器です。正装した演奏家が、整った姿勢で弾く。優等生的なイメージがつきまといます。
一方でトランペットは、金管楽器特有の荒々しさを持っています。ジャズやブラスバンドとも結びつき、もっと泥臭い響きを出すことができます。
つまりSUGIZOさんは、この時点ですでに「きれいすぎるもの」への違和感を持ち始めていたことになります。
3歳から続けてきたヴァイオリンは、いわば与えられた楽器でした。それに対してトランペットは、自分の感覚で選び取った楽器だったのでしょう。
同じ音楽の世界にいながら、方向を変えようとする最初の動きだったともいえます。
見逃せないのが、トランペットが父と同じ楽器だという点です。
反発しているようでいて、選んだのは父の領域でした。完全に音楽から離れるのではなく、音楽の内側で別の場所を探した形になります。
このあたりに、音楽一家に育った人ならではの距離感が表れている気がします。楽器を持つこと自体は、あまりにも当たり前だったのでしょう。
そして結果的に、SUGIZOさんは弦楽器と金管楽器の両方を経験することになりました。
音の出し方も、体の使い方も、まったく異なる2種類の楽器です。片方は弓で弦をこすり、もう片方は息を吹き込んで鳴らします。
異なる原理の楽器を若いうちに触っておくことは、音楽の全体像をつかむうえで大きな財産になります。のちに作曲やプロデュースにも関わっていくことを考えると、この時期の経験は決して寄り道ではありませんでした。
そしてこの「汚れたもの」への志向は、この先さらに大きな形で表面化していきます。中学生になったSUGIZOさんは、まもなくロックという音楽に出会うことになるからです。
SUGIZOの若い頃を変えたロック|高校時代からLUNA SEAへ
続いて、ロックとの出会いからデビューまでの歩みを見ていきます。
- 中学で出会った洋楽と邦楽
- 高校で組んだ最初のバンド
- LUNA SEA結成とデビュー
- SUGIZOの若い頃についてまとめ
中学で出会った洋楽と邦楽
13歳ごろ、SUGIZOさんの音楽人生を決定づける出会いが訪れます。
このとき聴いたのが、YMO、JAPAN、RCサクセションでした。本人はこれを「初めてのロックとの出会い」と表現しています。
この3組の並びが、なかなか象徴的です。
YMOはテクノポップの先駆者として、電子音による新しい音楽を提示していました。JAPANはイギリスのバンドで、耽美的なビジュアルと音楽性を持っていたグループです。そしてRCサクセションは、日本語のロックを泥臭く鳴らしていました。
洗練された電子音、耽美的な英国のロック、そして日本語の生々しさ。まったく方向性の違う3つが、同時期に入ってきたことになります。
クラシックの英才教育を受けてきた少年にとって、これらの音楽はどう聴こえたでしょうか。
楽譜どおりに正確に弾くことを求められてきた世界とは、まるでルールが違います。音を歪ませてもいい、リズムを崩してもいい、叫んでもいい。そういう自由がそこにはありました。
トランペットに「汚れた」魅力を感じていた少年です。ロックの持つ荒々しさが刺さらないはずがありません。
高校に進むと、傾倒する対象はさらに広がります。YMOに加えて、カルチャー・クラブやデュラン・デュランといった英国のバンドを愛聴するようになりました。
どちらも1980年代に活躍したバンドで、音楽性だけでなくファッションや化粧を含めた見た目の表現でも知られています。
音楽と視覚表現を切り離さない。この感覚は、のちにSUGIZOさんが身を置くことになるジャンルへと、まっすぐつながっていきました。
ここで思い出したいのが、SUGIZOさんが受けてきたクラシックの世界との違いです。
オーケストラの奏者は、基本的に黒い正装で舞台に上がります。個人が目立つことよりも、全体として響きを作ることが求められる世界です。
一方でカルチャー・クラブやデュラン・デュランは、髪型も衣装も化粧も含めて表現の一部でした。個性を消すのではなく、むしろ全開にする方向です。
正反対といっていいでしょう。
3歳から続けてきた世界の対極にあるものに、10代のSUGIZOさんは強く惹かれたことになります。反動の大きさが、そのまま傾倒の深さになったのかもしれません。
聴く側から作る側へ。この数年のあいだに、SUGIZOさんのなかで大きな転換が進んでいきました。
高校で組んだ最初のバンド
進学したのは、神奈川県立伊勢原高等学校です。
そしてこの高校で、SUGIZOさんはギターを手にします。3歳からのヴァイオリン、中学からのトランペットに続く、3つ目の楽器でした。
ロックをやるならギターだ、という自然な流れだったのでしょう。
そして重要なのが、ここでバンドを組んでいることです。組んだ相手は同級生で、バンド名は「Pinocchio」といいました。
この同級生というのが、のちにLUNA SEAでドラムを担当することになるSHINYAさんです。
つまりSUGIZOさんとSHINYAさんの関係は、高校時代にまでさかのぼることになります。プロになってから組んだ相手ではなく、10代のうちから一緒に音を鳴らしていた仲間だったわけですね。
バンド名の「Pinocchio」も、10代らしい選び方に感じられます。
高校生が組むバンドの多くは、卒業とともに自然消滅していきます。ところがこの2人は、そこで終わりませんでした。
一緒に音楽を続け、やがてより大きな流れに合流していくことになります。
クラシックの家庭で育ち、親の意向でヴァイオリンを弾いてきた少年が、自分の意志でギターを選び、友人とバンドを組む。若い頃のSUGIZOさんにとって、この時期が本当の意味での出発点だったのかもしれません。
与えられた音楽から、自分で選ぶ音楽へ。高校時代は、その切り替えが完了した時期だったといえます。
ギターという楽器の選択にも、意味があったはずです。
ヴァイオリンとギターは、どちらも弦を使う楽器です。指板を押さえて音程を作るという点では、身体の使い方に共通点があります。
3歳から弦楽器に触れてきた人にとって、ギターの習得は比較的スムーズだったのではないでしょうか。まったくの初心者が一から始めるのとは、出発点が違います。
嫌っていたはずのクラシック教育が、ここでも味方をしていたことになります。
そしてバンドという形式そのものも、SUGIZOさんにとっては新鮮だったはずです。指揮者の指示に従うオーケストラとは違い、バンドは仲間との対話で音を作ります。
誰かが決めた形をなぞるのではなく、自分たちで形を決める。高校時代のバンド活動は、その自由さを初めて味わう場だったのだと思います。
LUNA SEA結成とデビュー
高校時代からの活動が実を結ぶのは、1989年のことです。
この年の1月16日、SUGIZOさんはSHINYAさんとともにLUNACYに加入しました。合流した相手は、RYUICHIさん、INORANさん、Jさんの3人です。
ここに、のちのLUNA SEAとなる5人がそろったことになります。
高校時代のバンド仲間と2人セットで加入するという形も、印象的です。それだけSHINYAさんとの関係が強固だったのでしょう。
そこからバンドは活動を重ね、1992年にLUNA SEAとしてメジャーデビューを果たします。デビュー作となったのは、2ndアルバムの『IMAGE』でした。
1980年代の終わりから1990年代にかけては、日本のロックシーンが大きく動いた時期です。ビジュアル系と呼ばれるジャンルが確立され、LUNA SEAはその中心的な存在となっていきます。
そしてSUGIZOさんは、このバンドのなかで独特のポジションを築きました。
ギタリストでありながら、ステージでバイオリンを弾く。ロックバンドのなかで弦楽器の音色を響かせるスタイルは、当時としても異例のものでした。
ここで効いてきたのが、若い頃に叩き込まれたクラシックの技術です。
3歳から続けたヴァイオリン。父から課された長時間の練習。窮屈だったはずのその日々が、ロックの舞台で唯一無二の武器に変わったことになります。
抜け出したかった枠が、結果的に他の誰も持っていない個性になった。SUGIZOさんの若い頃を振り返ると、そんな逆転が見えてきます。
デビューまでの流れも、少し整理しておきましょう。
1989年にバンドが動き出してから、メジャーデビューまでには3年ほどの時間がかかっています。すぐに世に出たわけではありません。
インディーズでの活動期間があり、ライブハウスで支持を広げ、そのうえでのデビューでした。1stアルバムはインディーズでリリースされ、メジャーでの1枚目は2ndアルバムにあたる『IMAGE』です。
この下積みの時期は、20代前半にあたります。
3歳から音楽をやってきた人にとっても、プロとして世に出るまでには相応の時間が必要だったということでしょう。技術があることと、バンドとして評価されることは別の話です。
そして世に出たあとのLUNA SEAは、日本のロックシーンを代表する存在になっていきます。若い頃の積み重ねが、ようやく形になった瞬間でした。
SUGIZOの若い頃についてまとめ
SUGIZOさんの若い頃について、わかっていることを整理します。
- 本名は杉原康弘さんで、のちに杉原悠さん、現在は杉原有音さんへ改名している
- 1969年7月8日に神奈川県秦野市で生まれた
- 父はトランペット奏者、母はチェロ奏者で、ともに東京都交響楽団の団員だった
- 3歳のときに父の意向でヴァイオリンを学び始め、篠崎功子さんに師事した
- 父から1日3時間の練習を課されていたと伝えられている
- 11〜12歳ごろにトランペットを始めた。ヴァイオリンより「汚れた」イメージを好んだためとされる
- 13歳ごろにYMO、JAPAN、RCサクセションを聴き、「初めてのロックとの出会い」を経験した
- 高校時代はカルチャー・クラブやデュラン・デュランにも傾倒した
- 神奈川県立伊勢原高等学校でギターを始め、同級生のSHINYAさんとバンド「Pinocchio」を結成した
- 1989年1月16日にSHINYAさんとともにLUNACYに加入し、RYUICHIさん・INORANさん・Jさんと合流した
- 1992年にLUNA SEAとしてメジャーデビューを果たした
音楽一家に生まれ、選ぶ前から楽器を持たされていた少年でした。
その与えられた技術を捨てずにロックへ持ち込んだからこそ、ギターとバイオリンを行き来する独自のスタイルが生まれたのだと思います。