佐藤愛子の息子は1944年生まれの長男!父は最初の夫・森川弘だった

佐藤愛子の息子は1944年生まれの長男!父は最初の夫・森川弘だった

記事内で紹介する商品を購入することで、当サイトに売り上げの一部が還元されることがあります。

佐藤愛子さんに息子がいたことは、あまり知られていません。

娘の響子さんや孫の桃子さんが本を出していることもあり、家族といえばこの二人を思い浮かべる方が多いはずです。

けれど記録をたどると、響子さんが生まれるより16年も前に、佐藤愛子さんは男の子を産んでいます。

この記事では、佐藤愛子さんの息子について確認できることと、確認できないことを分けて整理します。

佐藤愛子の息子は最初の夫との長男

まずは、息子がいつ生まれ、父親が誰なのかから見ていきましょう。

  • 息子は1944年生まれの長男
  • 父は最初の夫・森川弘
  • 疎開先の邸で生まれた
  • 氏名と職業は確認できない
  • 3年後には妹が生まれた

息子は1944年生まれの長男

佐藤愛子さんの息子は、1944年11月に生まれた長男です。

佐藤愛子さんは1923年11月5日生まれですから、20代の前半で母になったことになります。戦争の真っただ中でした。

先に、分かっている範囲を一覧にしておきます。

息子 1944年11月生まれの長男
父親 最初の夫・森川弘さん
生まれた場所 静岡県清水区の興津にあった祖父母の邸
兄弟 3年後に生まれた長女、のちに異父妹の響子さん
その後 長女とともに父方の実家に引き取られた
氏名・職業 公表されておらず、確認できない

一覧にすると、息子について語れることが決して多くないと分かります。名前も職業も表に出ていないためです。

それでも「いつ、誰との間に生まれたか」までは、はっきり記録に残っています。

父は最初の夫・森川弘

息子の父親は、佐藤愛子さんの最初の夫である森川弘さんです。

二人が結婚したのは1943年12月で、見合い結婚でした。翌年の11月に長男が生まれていますから、結婚から1年足らずで母になった計算になります。

佐藤愛子さんはその後、1956年に作家の田畑麦彦さんと再婚しています。つまり結婚は2回で、息子は1回目の結婚で授かった子ということです。

作家としての佐藤愛子さんを語るとき、よく取り上げられるのは2番目の夫との顛末のほうでしょう。田畑さんの会社が倒産し、その借金を背負った経験が『戦いすんで日が暮れて』につながり、1969年の直木賞を受けています。

そのぶん最初の結婚については語られる機会が少なく、息子の存在も知られにくくなっていると考えられます。

疎開先の邸で生まれた

長男が生まれた場所も記録に残っています。静岡県清水区の興津にあった、祖父母の隠居用の邸です。

この祖父母というのが、佐藤愛子さんの父である作家の佐藤紅緑さんと、母で元女優の三笠万里子さんでした。戦時中で、一家は東京を離れて疎開していました。

つまり息子は、大衆小説の大家として知られた佐藤紅緑さんの家で生を受けたことになります。

佐藤家は文人の一族です。佐藤愛子さんの異母兄には詩人のサトウハチローさん、脚本家の大垣肇さんがいます。生まれた瞬間から、そういう家の空気の中にいた子だったわけですね。

興津は駿河湾に面した土地で、東京から疎開先として選ばれた場所でした。空襲を避けて身を寄せた先で、新しい命が生まれたことになります。

戦争が終わるのは、その9か月後のことでした。生まれてすぐの時期を、この子は戦時下で過ごしたわけです。

氏名と職業は確認できない

ここからが、この記事でいちばん正直に書いておきたい部分です。

息子の氏名と職業については、確認できる情報がありません。

インターネット上には、実名を挙げて「医師をしている」「病院を継いだ」と書いている記事がいくつもあります。ただ、その出どころをたどっても、本人や関係者の発表にはたどり着けませんでした。

同じ話を書いている記事の中には、佐藤愛子さんの母親の名前を取り違えているものもあります。正しくは三笠万里子さんですが、別の名前を記しているのです。

そうした精度の情報を根拠に、一般の方の氏名や勤務先を書くことはできません。この記事では「公表されていない」というところで止めます。

長男は芸能活動をしている人ではなく、公人でもありません。名前が出ていないこと自体が、本人の意思か、家族の判断だと受け取るべきでしょう。

ちなみに検索していると、大学生の息子と写った佐藤愛子さんの写真が出てくることがあります。これはアイドルグループribbonにいた同姓同名の別の方で、作家の佐藤愛子さんとは関係がありません。混同しないよう気をつけたいところです。

3年後には妹が生まれた

長男が生まれた3年後、1947年に長女が誕生しています。

こちらも父親は森川弘さんですから、2人は兄弟ということになります。

さらに時間が経ち、1960年3月には田畑麦彦さんとの間に響子さんが生まれました。響子さんは長男から見て、母だけが同じ異父妹にあたります。

つまり佐藤愛子さんは3人の子を産んでいて、そのうち上の2人が最初の結婚、いちばん下が2回目の結婚で授かった子です。

響子さんは杉山弘幸さんと結婚して杉山響子さんとなり、母について書いた本も出しています。孫にあたる桃子さんも同じく書き手です。

世に知られているのは、いちばん下の響子さんだけ。この差が、息子の存在が意外に思われる理由でもあります。

上の2人が生まれたのは戦中戦後、下の1人は高度経済成長のただ中。同じ母の子でも、置かれた時代がまるで違いました。

佐藤愛子と息子が離れて育った背景

ここからは、母と子が別々に暮らすことになった経緯を見ていきます。

  • 2人の子は父方の実家へ
  • 田畑麦彦との再婚
  • 借金を背負い直木賞へ
  • 娘と孫が語った晩年
  • 佐藤愛子の息子についてまとめ

2人の子は父方の実家へ

長男と長女は、のちに父方の実家に引き取られています。

つまり息子は、母である佐藤愛子さんの手元では育っていません。ここが、息子の存在が表に出てこなかった大きな理由でしょう。

戦中戦後の混乱期で、若い母親が2人の子を抱えて生活を立てるのは容易ではありませんでした。作家として身を立てるのはもっとあとの話です。

この経緯について、佐藤愛子さん自身が繰り返し詳しく語った記録は多くありません。事実として記録されているのは「引き取られた」という一点です。

そこに至る事情をこちらで想像して書き足すことはしません。当事者が語っていない部分だからです。

ネット上には、この時期のことを母親としての評価に結びつけて書く記事もあります。ただ、当時の暮らしを知らないまま断じられる話ではないでしょう。

はっきりしているのは、佐藤愛子さんが40代を過ぎてから作家として世に出た人だということです。子を引き取れる状況が整っていなかった時期があったのは、経歴を見れば分かります。

田畑麦彦との再婚

1956年、佐藤愛子さんは作家の田畑麦彦さんと再婚します。本名は篠原省三さんです。

そして1960年3月に響子さんが生まれました。長男が16歳になろうという年です。

同じ母から生まれながら、上の2人と下の1人では育った家も時代もまったく違うことになります。

田畑麦彦さんは同じ作家で、同人誌を通じて交わった相手でした。書く仕事の同志として始まった関係だったことになります。

この結婚は1968年1月に離婚という形で終わりました。結果として佐藤愛子さんは、2度の結婚をどちらも添い遂げなかったことになります。

離婚の前後には、次に触れる会社の倒産という大きな出来事がありました。息子から見れば、母は遠いところでさらに波乱の中にいたわけです。

借金を背負い直木賞へ

田畑さんとの結婚生活で決定的だったのが、会社の倒産です。

佐藤愛子さんはその借金を背負うことになり、返済のために書き続けました。この体験をもとにした『戦いすんで日が暮れて』で、1969年に直木賞を受賞します。

苦境がそのまま代表作になったわけですね。

その後も筆は止まりませんでした。1979年に女流文学賞、2000年に菊池寛賞、2015年に紫式部文学賞、2017年には旭日小綬章を受けています。

そして『九十歳。何がめでたい』が世代を超えたベストセラーになり、晩年になってから新しい読者を大きく増やしました。

100歳を超えても新作を出し続け、『百一歳。終着駅のその先へ』のように年齢そのものを題名に掲げた本まで刊行しています。

書くことで借金を返し、書くことで最後まで現役だった人です。

娘と孫が語った晩年

晩年の佐藤愛子さんについて語ってきたのは、末娘の響子さんと、その娘である孫の桃子さんでした。

桃子さんは祖母との日々をつづった『佐藤愛子の孫は今日も振り回される』を発表し、響子さんも母について書いています。

一方で、長男と長女がメディアに登場したという記録は見当たりません。

佐藤愛子さんは2026年4月29日、102歳で亡くなりました。報道されたのは5月15日のことです。

葬儀や追悼の報道でも、名前が出たのは響子さんと桃子さんでした。

上の2人の子がその後どうしているのかも、公になっていません。ここまで情報が出てこないのは、家族がそう決めているからだと考えるのが自然でしょう。

有名人の家族であっても、表に出るかどうかは本人が選べます。長男と長女は出ない側を選んだ。それだけのことだと受け止めておきたいところです。

佐藤愛子の息子についてまとめ

佐藤愛子さんの息子について、要点を整理しておきます。

  • 息子は1944年11月に生まれた長男
  • 父親は最初の夫・森川弘さん。1943年12月の見合い結婚だった
  • 生まれたのは静岡県清水区の興津にあった祖父母の隠居用の邸
  • 3年後の1947年に長女が生まれ、2人はのちに父方の実家に引き取られた
  • 1960年3月には2番目の夫・田畑麦彦さんとの間に響子さんが誕生
  • 息子の氏名と職業は公表されておらず、確認できない
  • 晩年について語ってきたのは末娘の響子さんと孫の桃子さん

存在は記録に残っているのに、その後がまったく分からない。佐藤愛子さんの息子は、そういう位置にいる人です。

書かれていないことを埋めないほうが、この家族への向き合い方としては正しいのだと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

error: Content is protected !!
//TheMoneytizerの「FOOTER or SLIDE-IN」広告