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脱力系のギャグと穏やかな人柄で幅広い世代に愛され、俳優としても高い評価を受けるずんの飯尾和樹さん。東京・世田谷育ちとして知られていますが、どんな学校に通い、どんな学生時代を過ごしたのか気になった方も多いのではないでしょうか。
飯尾和樹さんの出身高校は東京学園高校とされ、本人は男子校に通いバレーボール部に入っていたことを明かしています。
高校卒業後は大学に進まず、家族で鍋を囲む席で「お笑い芸人になろうと思っている」と宣言して、芸人の道へ進みました。
この記事では、飯尾和樹さんの学歴と、少年野球に夢中だった小中学校時代から、高校、芸人になるまでの歩みを、本人の言葉や報道をもとに整理します。
目次
飯尾和樹の学歴|出身高校は東京学園高校とされる
- 学歴は高校卒業まで
- 5歳から世田谷区下馬で育つ
- 小中学校は少年野球に夢中
- 高校は男子校でバレー部
- 高1の夏に物理で赤点
まずは、飯尾さんの学歴と、小学校から高校までの学生生活を見ていきます。
学歴は高校卒業まで
飯尾和樹さんは1968年12月22日生まれ、東京都出身のお笑い芸人です。浅井企画に所属し、2000年に相方のやすさんとお笑いコンビ「ずん」を結成しました。
学歴について分かっていることを、先に一覧にしておきます。
| 育った場所 | 5歳から東京都世田谷区下馬 |
| 小中学校 | 小学3年から中学まで少年野球(校名は資料によって異なる) |
| 高校 | 東京学園高校とされる(男子校・本人の公表はなし) |
| 部活 | 高校ではバレーボール部 |
| 大学 | 進学していない |
| 高校卒業後 | 小さな劇団を経て、1990年に浅井企画へ |
飯尾さんの出身高校は、ネット上の人物紹介などで「東京学園高等学校」と紹介されています。東京学園は東京都目黒区にあった男子校で、2018年に閉校しました。
ただし、本人や事務所が校名を公表した記録は見当たりません。この記事では、東京学園高校の出身という情報は「とされる」ものとして扱います。小学校・中学校の校名も資料によって食い違いがあるため、ここでは触れません。
5歳から世田谷区下馬で育つ
飯尾さんは5歳から東京都世田谷区下馬で育ちました。2021年に雑誌POPEYEのウェブサイトに寄せたエッセイで「下馬に住み始めたのは5歳の時、両親が共働きで職場から近い所でと、親父が一大決心してマイホームを購入してくれたお陰です」とつづっています。
同じエッセイでは、地元の道についても「下馬から池尻、そして三宿まで一直線で通っている一本道が好きで、『ミニ北海道ロード』と呼ばれています」と紹介しています。
2019年の文春オンラインのインタビューでは「僕が住んでいたところは転勤族が多い地域だったんで、小学校で歓迎会とかお別れ会がたくさんあったんですよ」と話しており、人の出入りが多いにぎやかな地域で小学校時代を過ごしたことが分かります。
小中学校は少年野球に夢中
小中学校時代の飯尾さんは、野球少年でした。文化放送の番組ブログでは「プロ野球に憧れて少年野球。小学校3年から中学までやってました」と話しています。
入っていたチームの名前は「あしげ」で、下馬の名所「芦毛塚」から名付けられたそうです。当時の夢は「早稲田出てドラフト3位でヤクルトに入るのが夢でした」というもので、早稲田大学からプロ野球選手になることを思い描いていました。
小学校で少年野球をしていたころには、試合の帰りに取材を受けてテレビに映ったこともあったそうです。これが飯尾さんにとって、人生で初めてのテレビ出演でした。
高校は男子校でバレー部
高校時代の飯尾さんは、男子校に通っていました。日刊ゲンダイの連載では「高1の時、周りの先輩や友人には彼女ができているのに自分はできず、それを男子校に通ってるせいにした」と振り返っています。
部活は、野球からバレーボールに変わりました。2025年のPOPEYEのエッセイでは「高校3年間で一番辛い、1年生としてのバレーボール部の夏合宿」と書いており、合宿先は祖母の故郷でもある長野だったそうです。
夏には友人たちと「彼女が欲しいねぇ~」と話し合った結果、海へ出かけたものの、「夕方3時には地元の喫茶店でアイスコーヒーをガブ飲みしていた17歳の夏」だったというエピソードも明かしています。男子校らしい、のんびりとした青春の一コマです。こうした自虐まじりの思い出話は、今の飯尾さんの語り口そのものです。
高1の夏に物理で赤点
勉強については、ほろ苦い思い出もあります。POPEYEのエッセイで飯尾さんは、高1の夏に物理のテストで「3点足りずの28点…、そう赤点を叩き出してしまったのです」と明かしています。
エッセイでは、この赤点が「人生で一番焦った夏」の出来事として描かれています。バレー部の夏合宿で長野へ向かったのも、同じ16歳の夏でした。
失敗も笑いに変えて語る文章からは、学生時代から変わらない飯尾さんらしいユーモアが伝わってきます。
2019年の文春オンラインのインタビューでは、小学校時代に「『ロン麻雀殺人事件』っていうのを作ったんですけど、校長室に呼び出されて」というエピソードも明かしており、子どもの頃から人を笑わせることが好きだった様子がうかがえます。
飯尾和樹の学歴と進路|大学に進まず芸人の道へ
- 公務員に憧れた高校時代
- 『男はつらいよ』と吉本新喜劇
- 大学推薦の話で芸人を決意
- 家族で囲んだ鍋で進学をやめると宣言
- バレー部の返事で浅井企画へ
- 飯尾和樹の学歴まとめ
ここからは、高校時代に考えていた進路と、大学に進まずに芸人の道を選ぶまでの流れを見ていきます。
公務員に憧れた高校時代
高校生の飯尾さんは、将来について意外な考えを持っていました。2019年の文春オンラインのインタビューでは、当時のバブル期の働き方に触れ、過労で亡くなった人のニュースを見て「『何のために働くんだろう』って思ったんですよ」と話しています。
そのうえで「うちの両親は公務員なんですけど、定時で帰ってきて家ではバラエティ番組ばっかり見てるから、ああ公務員がいいなって(笑)」と振り返りました。
2025年のテレビ番組でも「うちの両親が、区役所で公務員だったんですよ」と明かしており、両親の働き方を見て公務員を考えた時期があったことが分かります。
『男はつらいよ』と吉本新喜劇
一方で、飯尾さんの家には笑いがあふれていました。文春オンラインでは「ずっとバラエティ番組がついているような家でした」と話しています。
両親は映画『男はつらいよ』が好きで、家族で見ていたそうです。また「両親の実家が滋賀なんですよ。夏休みに帰省するんですけど、吉本新喜劇がすごく面白くて」とも語っています。
家族で楽しんだ映画やお笑いが、芸人を目指す下地になっていきました。
大学推薦の話で芸人を決意
飯尾さんは大学には進学していません。進学しなかった理由について、本人は文春オンラインで「高校から大学に推薦で行けるって話になった時に急に『やっぱりお笑いをやりたいな』って思ったんです」と話しています。
一方、2020年のデイリースポーツの記事では「大学受験に失敗し」と紹介されており、媒体によって書き方が異なります。いずれにしても、高校卒業後は大学に進まず、芸人を目指す道を選んだことは共通しています。
子どもの頃は「早稲田からヤクルトへ」が夢でしたが、最終的には大学ではなくお笑いの世界を選んだことになります。
家族で囲んだ鍋で進学をやめると宣言
芸人になると決めた飯尾さんは、そのことを家族に伝えました。2020年に出演したTBS系『サワコの朝』では、そのときの様子を語っています。
「家族5人で鍋を食べてたんですよ。ゲラゲラ笑いながら凄く盛り上がってたんです」という場で、「進学やめようと思って。お笑い芸人になろうと思っている」と切り出したそうです。母は「和樹…」とだけ返し、父は「いいんじゃないか」と受け入れてくれました。
公務員の両親のもとで育った長男の決断を、父が背中を押してくれた形です。家族の理解があったからこそ、飯尾さんは芸人の道へ踏み出すことができました。
バレー部の返事で浅井企画へ
高校卒業後、飯尾さんはまず小さな劇団に入りました。ただ、文春オンラインでは「踊りの稽古をするのが合わなくて3カ月で辞めちゃいました」と話しており、劇団生活は数か月で終わっています。
その後はフリーターのような生活を経て、先輩から教えてもらった浅井企画に連絡し、事務所に入りました。デイリースポーツによると、面接ではバレーボール部時代に身についた「ハイッ!」という返事が、当時の常務に気に入られたそうです。
本人も「体育会系のバレー部だったから間を開けないでなんでも『はい!』って返事をするのがクセになってた」と話しています。高校の部活で身についた習慣が、芸人人生の入り口を開いたのです。1990年に浅井企画に所属し、2000年には「ずん」を結成しました。
飯尾和樹の学歴まとめ
飯尾和樹さんの学歴について、分かっていることをまとめます。
- 飯尾和樹さんの最終学歴は高校卒業で、大学には進学していない
- 出身高校は東京学園高校とされるが、本人の公表はない
- 5歳から世田谷区下馬で育ち、小学3年から中学まで少年野球をしていた
- 子どもの頃の夢は「早稲田出てドラフト3位でヤクルト」
- 高校は男子校で、バレーボール部に入っていた
- 高校時代は、公務員の両親を見て公務員に憧れたこともあった
- 大学に推薦で行ける話が出たときに、お笑いをやりたいと思い直した
- 家族5人で鍋を囲む席で進学をやめると宣言し、父が「いいんじゃないか」と受け入れた
- 劇団を経て1990年に浅井企画に所属。バレー部で身についた返事が面接で評価された
野球少年からバレー部の男子高校生、そして芸人へ。飯尾さんの学生時代のエピソードには、今の脱力系の笑いにつながるユーモアと、家族の温かさがあふれています。

