奥田瑛二の本名は安藤豊明だった!娘・安藤サクラと同じ名字の理由を解説

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「奥田瑛二」という名前は、実は本名ではありません。

本名を知ると、あの有名な娘さんの名字の謎まで一気に解けてしまいます。

しかも一族には、代々受け継がれてきた不思議なルールがありました。

この記事では、奥田瑛二さんの本名と、そこから見えてくる家族のつながりを整理していきます。

奥田瑛二の本名は安藤豊明!名前に隠された一族のルール

まずは本名そのものと、名前に込められた意味から見ていきます。

  • 本名は安藤豊明と判明
  • 代々受け継がれる「豊」の字
  • かつては奥田英二だった
本名 安藤豊明(あんどう とよあき)
旧芸名 奥田英二(読みは同じ)
生まれ 1950年3月18日・愛知県春日井市
きょうだい 3人きょうだいの長男(姉・弟)
一族の共通点 代々「豊」の字が入る
妻と娘の姓 本名の「安藤」を名乗っている

本名は安藤豊明と判明

奥田瑛二さんの本名は、「安藤豊明(あんどう とよあき)」です。

芸名の「奥田瑛二」とは、名字も名前もまったく重なりません。姓が変わるだけの芸名は珍しくありませんが、フルネームで別人のようになっているケースは、そう多くないですよね。

生まれは1950年3月18日。愛知県東春日井郡高蔵寺町、現在の春日井市の出身です。実家は3人きょうだいで、奥田瑛二さんはその長男にあたります。上に姉がひとり、下に弟がひとりという構成でした。

「豊明」という名前の響きには、どこか実直な印象があります。ダンディな二枚目俳優というイメージで知られる奥田瑛二さんですが、その土台にあるのは愛知の地に根を張った家の名前だったわけですね。

思えば「奥田瑛二」という芸名は、どこか都会的で軽やかです。一方の「安藤豊明」には、土の匂いがします。この落差は、そのまま本人の人生の落差でもありました。愛知の実家を飛び出し、東京で公園に寝泊まりし、それでもスクリーンを目指した青年。その道中で名前だけが先に、俳優らしい姿へ変わっていったようにも見えます。

興味深いのは、この本名がまったく隠されていないことです。奥田瑛二さんはNHKの「ファミリーヒストリー」に出演し、一族のルーツを掘り下げる企画に自ら参加しています。そこでは父の顔画像まで公開されました。本名も家族構成も、本人が語ることで世に出てきた情報なのです。

そして、この「安藤豊明」という4文字を知った瞬間から、奥田瑛二さんという人の見え方が変わってきます。なぜなら、この名前が娘たちの名字と直結しているからです。その話は記事の後半でお話しします。

ちなみに学歴は、地元の東邦高等学校を卒業したのち、明治学院大学法学部へ進んで中退という経歴です。俳優、映画監督、画家、そして声優やナレーターとしても活動する多才な人ですが、その出発点は法学部の学生でした。安藤豊明という青年は本来、まったく別の人生を歩むはずだったわけですね。

まずは「豊明」の「豊」に注目してください。ここに、この一族の秘密が隠れています。

代々受け継がれる「豊」の字

奥田瑛二さんの一族には、名前に関するひとつの決まりごとがありました。

代々、名前に「豊」の字が入っているのです。

並べてみると、その徹底ぶりに驚かされます。曾祖父は安藤豊九郎さん。父は安藤豊さん。本人は安藤豊明さん。姉は豊子さん。弟は豊彦さん。世代をまたいで、見事に「豊」が受け継がれています。

父の名前に至っては「豊」の一文字そのものです。ここまで来ると、偶然では説明がつきませんよね。

この命名には、意味が込められていると語られています。実りある人生を過ごしてほしい。そんな先祖代々の気持ちが「豊」という字に託されているのだそうです。豊かさとは金銭ではなく、実り。農家だった父方の実家にふさわしい願いだと言えます。

実際、父方の実家はもともと農家でした。曾祖父の安藤豊九郎さんが古民家を建て、祖父の安藤廣治さんがそれを守り続けたと伝えられています。愛知県瀬戸市にあるその家は、今も一族の拠点として生き続けています。

面白いのは、姉の豊子さんです。女性にも「豊」を入れているところに、この家のこだわりの強さが表れていますよね。豊子さんは「山城」姓の方と結婚したと判明していますが、詳しいプロフィールは公表されていません。

そして長男である奥田瑛二さんは、この「豊明」という名前を捨てたわけではありません。芸名として「奥田瑛二」を名乗りながら、戸籍上は今も安藤豊明のままです。一族の願いを背負ったまま、まったく別の名前でスクリーンに立ち続けてきたことになります。

考えてみると、これは相当に珍しい状況です。多くの俳優は、芸名で呼ばれるうちに本名のほうが薄れていきます。ところが奥田瑛二さんの場合、妻も娘も「安藤」を名乗っているため、本名の姓が家族を通じて世に出続けているのです。家では安藤さん、現場では奥田さん。ふたつの名前が、どちらも現役で機能し続けています。

「豊」の願いを託された長男が、その字を持たない名前で生きる。それでいて、家族には本名の姓が残る。奥田瑛二さんの名前の話は、この二重構造を押さえると一気に面白くなります。

かつては奥田英二だった

もうひとつ、芸名にまつわる見逃せない事実があります。

奥田瑛二さんは、デビュー当時から今の表記だったわけではありません。かつての芸名は「奥田英二」でした。読み方は同じ「おくだ えいじ」です。

変わったのは、真ん中の一文字だけ。英語の「英」から、玉のように輝くという意味を持つ「瑛」へ。読みも姓もそのままに、漢字だけがすっと入れ替わりました。

「英」も「瑛」も、読みは同じ「えい」。それでも意味は少し違います。「英」がすぐれた才能を表すのに対し、「瑛」は玉の輝きや、透き通った水晶を指す字です。才気を示す名前から、澄んだ輝きを示す名前へ。そう読むこともできますよね。

ただし、なぜ表記を変えたのか、その理由については確かな説明が見当たりませんでした。改名の経緯を本人が詳しく語った記録は、調べた範囲では出てきていません。画家としても活動し、個展を開くほど字面や造形にこだわる人ですから、見た目の美しさを重視したのかもしれませんが、これは推測の域を出ません。

そもそも奥田瑛二さんは、名前の見せ方に無頓着ではない人です。俳優、映画監督、画家、声優、ナレーターと肩書きを増やし続け、1980年代には歌手としてレコードまで出しています。谷村新司さんとデュエットしたシングルを発表し、アルバムも複数枚リリースしました。表現の場所を変えるたびに、名前の見え方も気にしていたとしても不思議はありません。

同じように、「奥田瑛二」という芸名そのものの由来も、はっきりとは分かっていないのが実情です。安藤豊明という本名から、どういう経路で奥田という姓が出てきたのか。ここは謎のまま残されています。

芸名の由来を明かさないというのも、ひとつのスタイルなのでしょう。若い頃から破天荒に生きてきた人ですから、名前の出どころなど気にせず走り出してしまった、という可能性も十分にありますよね。

奥田瑛二の本名から見える家族のつながり

本名を知ると、家族の姿までくっきり見えてきます。

  • 父は市議会議員で実業家
  • 芸能界入りを支えた母
  • 苔玉作家として生きる弟
  • 娘の安藤サクラと同じ姓
  • 奥田瑛二の本名と家族まとめ

父は市議会議員で実業家

奥田瑛二さんの父は、安藤豊さんといいます。

肩書きは、元春日井市議会議員。地元の政治を担った人でした。ただし、政治一本の人生だったわけではありません。実業家としての顔も持っていました。

手がけていたのは、喫茶店「ユタカ」と、ユタカ氷店です。どちらの店名にも、自分の名前がそのまま使われていますよね。「豊」の字にこだわる一族らしいネーミングだと言えます。

注目したいのは、この安藤豊さんの出自です。実家は政治家家系ではなく、安藤豊さんが一代で政界に進出した人物でした。父方の実家はもともと農家です。そこから商売を興し、市議会議員にまでなった。相当な行動力の持ち主だったことがうかがえます。

この父の存在が、奥田瑛二さんの人生を大きく縛りました。俳優になりたいという夢を、高校3年生まで打ち明けられなかったのは、この父がいたからです。実際、東京の大学に行きたいと相談したときの返事は「ダメだ。名古屋の大学に行け」でした。

それでも最終的には、父の伝で丹羽兵助代議士の書生になるという道が開かれます。10代の奥田瑛二さんは議員会館を行き来する機会が多く、政治の世界に強い興味を示した時期もあったといいます。父が敷いたレールの上を、一度は本気で歩こうとしていたわけですね。

そして奥田瑛二さんが「ファミリーヒストリー」に出演した際、この父の顔画像が公開されました。スーツ姿がぴたりと決まった、元市議会議員の肩書きにふさわしい佇まいだったと伝えられています。息子が二枚目俳優になったのも、うなずける話ですよね。

安藤豊さんは1990年に他界しました。享年63。息子が『海と毒薬』で毎日映画コンクール男優主演賞を獲り、俳優として花開いた姿は見届けた計算になります。「たわけ」と言われた夢が本物だったことを、父は知ってから旅立ったのです。ただし、息子が50歳で映画監督デビューを果たし、モントリオール世界映画祭でグランプリを獲る場面までは見られませんでした。

芸能界入りを支えた母

父が壁だったとすれば、母は扉でした。

奥田瑛二さんの母は、安藤はまさんといいます。岐阜県多治見市の出身で、実家はごく普通の家庭でした。父親は運送会社の社員、母親は和服の仕立て屋で働いていたと伝えられています。政治家でも商売人でもない、堅実な暮らしの中で育った人です。

この母が、奥田瑛二さんの人生を決定づけます。俳優になりたいと打ち明けたとき、姉からは「たわけ! あんたみたいなバカが映画俳優になれるわけがないでしょう」と一蹴されました。最後の砦として頼った母から返ってきたのが、次の一言です。

「あんたの好きなようにすればいいわ」

たったこれだけです。それでも、この一言がなければ奥田瑛二という俳優は生まれていませんでした。

しかも母の応援は、言葉だけで終わりませんでした。父にバレない形で、金銭面のサポートまでしていたと語られています。大学を中退し、劇団の試験も受けられず、付き人からも逃げ出した息子。その息子を、母は陰で支え続けていたのです。

市議会議員の夫に隠れて、役者志望の息子に金を渡す。当時の家庭の空気を考えれば、簡単なことではなかったはずです。それでも母は、実りある人生を願う「豊」の一族の一員として、息子の実りを信じたのでしょう。

母・安藤はまさんの実家は、ごく普通の家庭でした。政治家の家に嫁ぎ、市議会議員の妻として地元で暮らす。周囲の目もあったはずです。それでも、和服の仕立て屋で働く母を見て育った人だからこそ、手に職を持つこと、自分の表現で生きることの意味が分かったのかもしれません。

結果として、この母の判断は正しかったことになります。息子は毎日映画コンクール男優主演賞を獲り、日本アカデミー賞優秀主演賞に輝き、50歳で映画監督デビューまで果たしました。「好きなようにすればいい」という一言に、これ以上ないほどの実りがついてきたわけです。「豊」の一族らしい結末ですよね。

公園で寝泊まりしていた時期の奥田瑛二さんが、それでも実家に帰らなかった理由。そこには、母の期待を裏切れないという思いもあったのかもしれませんね。

苔玉作家として生きる弟

奥田瑛二さんの弟は、安藤豊彦さんといいます。

兄が銀幕のスターなら、弟も表現の道を歩みました。ただし、そのジャンルはまったく違います。安藤豊彦さんの職業は、苔玉作家です。

苔玉とは、植物の根を土で丸く包み、その表面に苔を張り付けて育てる、日本の伝統的な植物の楽しみ方です。手のひらに乗るほどの小さな緑の玉。派手さとは無縁の、静かな表現の世界ですね。

安藤豊彦さんは、はじめから作家だったわけではありません。丸光陶器という会社で働いた後、苔玉作りに力を入れるようになったといいます。そして2008年、瀬戸市美術展で大賞を受賞しました。趣味の域ではなく、きちんと評価を勝ち取っています。

活動拠点にしているのは、愛知県瀬戸市の古民家です。この家こそ、曾祖父の安藤豊九郎さんが建て、祖父の安藤廣治さんが守り続けてきた、一族のルーツそのものでした。

ここに、この兄弟の対比が浮かび上がります。兄は名前を変えて故郷を出て、東京で公園に寝泊まりしながらスクリーンを目指しました。弟は本名のまま故郷に残り、曾祖父の家で土と苔に向き合っています。

俳優と苔玉作家。まったく違う道に見えて、どちらも「実りある人生を」という「豊」の願いを、それぞれのやり方で形にしているように思えます。

ちなみに奥田瑛二さんも、表現の幅は俳優業だけにとどまりません。画家としてフォーシーズンズホテルや銀座三越などで個展を開き、小説の挿絵や妻・安藤和津さんの童話の絵まで手がけてきました。玄人はだしと評される腕前です。ギターやブルースハープも特技として挙げられています。

土をこねて苔を張る弟と、筆をとって絵を描く兄。使う道具は違っても、手で何かを作り出すという性質は、この一族に共通して流れているのかもしれませんね。曾祖父が古民家を建て、祖父がそれを守った。ものを作り、残すという血が、農家だった安藤家にはずっと続いているように見えます。

娘の安藤サクラと同じ姓

そして、本名を知って最も驚くのがここです。

奥田瑛二さんの次女は、女優の安藤サクラさん。長女は映画監督の安藤桃子さん。妻はエッセイストの安藤和津さんです。

お気づきでしょうか。家族全員の「安藤」は、父・奥田瑛二さんの本名の姓なのです。

多くの人は、なんとなく逆に思っているかもしれません。安藤和津さんは元内閣総理大臣・犬養毅の孫という華麗な家系の人ですから、その「安藤」が名家の姓で、娘たちもそれを継いだ。そう考えるほうが自然に見えますよね。

ところが実際は違いました。安藤和津さんの戸籍名は安藤和子さんで、旧姓は荻野、認知されて犬養となった人です。つまり「安藤」はもともと持っていた姓ではありません。1979年に安藤豊明さんと結婚したことで、安藤姓になったのです。

整理すると、こうなります。公園で寝泊まりしていた売れない役者の名字が、そのまま日本を代表する演技派女優の名字になった。安藤サクラという名前がスクリーンに映るたび、そこには愛知の農家から続く「安藤」の家の名前が刻まれているわけです。

この構図は、なかなか味わい深いものがあります。芸能界では「奥田瑛二」として生きながら、家庭では「安藤」の家長である。表の名前と裏の名前を、まるで別の人生のように使い分けてきたことになりますね。

面白いのは、長女の安藤桃子さんが両親の相性をこう分析していることです。母・安藤和津さんは、祖父に犬養毅を持つ裕福な家で、お姫さまのように育ちました。買い食いをしたこともなく、駅までばあやが迎えに来るような暮らしです。その和津さんが選んだのが、当時の所持金が数十円だった男でした。

安藤桃子さんいわく、苦労を苦労と思わずに「なんてファンタジック」「4畳半ってステキ」と感じられたから乗り越えられたのだ、と。和津さん自身も「誰かのウチから持ってきて、水を足せば雑炊になるみたいな、そういう感じだもんね。それが楽しかった」と当時を振り返っています。安藤という姓は、そんな極貧生活のスタートラインから始まったわけですね。

ちなみに次女・安藤サクラさんの夫は俳優の柄本佑さんです。柄本佑さんの父・柄本明さんとも家族ぐるみで仲が良く、一緒にバラエティー番組を見て思いっ切り笑う場面もあったのだとか。ただし、家族の誰かが出演したドラマや映画を一緒に観ることは一切ないそうです。互いの仕事には干渉しない。そんな距離感が、この一家らしいですよね。

奥田瑛二の本名と家族まとめ

ここまでの内容を整理します。

  • 奥田瑛二さんの本名は「安藤豊明(あんどう とよあき)」。1950年3月18日生まれ、愛知県春日井市の出身
  • 実家は3人きょうだいで、奥田瑛二さんは長男。姉と弟がいる
  • 一族には代々「豊」の字が入る。曾祖父・豊九郎、父・豊、本人・豊明、姉・豊子、弟・豊彦と続く
  • 「豊」には、実りある人生を過ごしてほしいという先祖代々の願いが込められているとされる
  • 旧芸名は「奥田英二」。読みは同じで、漢字の表記だけが変わった。変更の理由は公表されていない
  • 父・安藤豊さんは元春日井市議会議員で、喫茶店「ユタカ」などを経営した実業家。1990年に他界(享年63)
  • 母・安藤はまさんは岐阜県多治見市出身。父にバレない形で金銭面のサポートをし、芸能界入りを後押しした
  • 弟・安藤豊彦さんは苔玉作家。2008年に瀬戸市美術展で大賞を受賞し、曾祖父が建てた古民家を拠点にしている
  • 妻・安藤和津さん、長女・安藤桃子さん、次女・安藤サクラさんの「安藤」は、すべて父の本名の姓

「奥田瑛二 本名」という検索から出てきたのは、たった4文字の名前でした。

けれど、その4文字を引っ張ると一族がまるごとついてきます。愛知の農家が建てた古民家、そこに込められた「豊」の願い、市議会議員になった父、こっそり息子を支えた母、故郷で苔玉を作る弟。そして、その名字を受け継いで日本映画界の中心に立つ娘たち。安藤豊明という名前は、捨てられた本名ではなく、いまも静かに機能し続けている家族の背骨なのでしょう。

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