横尾渉の若い頃はJr.時代が約10年半!兄と受けたオーディションとデビュー前の葛藤

横尾渉の若い頃はJr.時代が約10年半!兄と受けたオーディションとデビュー前の葛藤

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Kis-My-Ft2のメンバーで、料理や俳句、数々の資格でも知られる横尾渉さん。若い頃はどんな立場にいて、どんな道をたどってきたのか気になる方も多いのではないでしょうか。

横尾渉さんは2001年2月4日に兄に連れられたオーディションを経て入所し、およそ10年半のJr.時代を過ごしたのち、2011年8月10日にCDデビューしました。

本人は、デビューを目前にして「デビューの日に僕はいないと思う」とメンバーに伝えたほど悩んだ時期があったと明かしています。

この記事では、横尾渉さんの若い頃について、本人の発言と報道で確認できた出来事を年ごとに整理します。

横尾渉の若い頃|兄と受けたオーディションとJr.時代

  • 若い頃の歩みを年表で整理
  • 兄に連れられたオーディション
  • 同期3人とJr.時代のユニット

まずは、入所のきっかけからグループ結成までの、若い頃の前半を見ていきます。

若い頃の歩みを年表で整理

横尾渉さんは1986年5月16日生まれ、神奈川県出身です。Kis-My-Ft2と、その派生ユニットである舞祭組のメンバーとして知られています。血液型はA型で、愛称は「ワッター」、メンバーカラーはオレンジです。

入所からCDデビュー、舞祭組の結成までの流れを、先に一覧にしておきます。

生年月日・出身 1986年5月16日・神奈川県
入所 2001年2月4日(兄に連れられたオーディション)
Jr.時代の前半 2001年から2003年までK.K.Kityで活動
グループ結成 2005年7月からKis-My-Ft2
ドラマ初出演 2010年10月『フリーター、家を買う。』
CDデビュー 2011年8月10日「Everybody Go」
舞祭組 2013年12月「棚からぼたもち」

入所からCDデビューまでにかかった時間は、およそ10年半です。

Jr.として過ごした期間が長かったことが、横尾さんの若い頃を語るうえでの大きな特徴といえます。一覧にすると、グループの結成までに4年あまり、そこからデビューまでにさらに約6年かかったことが分かります。

デビューが決まったのは2011年2月12日でした。国立代々木競技場第一体育館で開かれていたイベントの最中に、サプライズで知らされたと報じられています。知らせの紙が茶封筒に入っていたことから、メンバーやファンの間でこの日は「茶封筒の日」と呼ばれてきました。

当時の姿が気になる方も多いと思います。2023年2月12日には、グループの歩みを振り返る映像が公開されました。報道によると、茶封筒を受け取って喜ぶデビュー前のメンバーの映像から始まり、デビュー後の東京ドーム公演へと時系列で続く内容だったそうです。

なお、通っていた学校の名前は、所属事務所の公式プロフィールには載っていません。インターネット上には校名や部活動を挙げる記事もありますが、本人の発言や大手の報道では確認できませんでした。この記事では、年月日まで確認できた出来事を中心にお伝えします。

兄に連れられたオーディション

横尾さんが芸能界に入ったきっかけは、兄でした。2018年6月25日に放送された日本テレビ系の情報番組『PON!』で、本人が入所のいきさつを語っています。

報道によると、兄が履歴書を送ったそうです。横尾さんは「(兄に)『フットサルに行く』って言われて、ついて行ったらオーディション会場だったんですよ」と話しました。

入所のきっかけは、兄に「フットサルに行く」と言われて連れて行かれたオーディションだったのです。

当日の心境については「本当わけわかんなくて」と振り返っています。会場では、先輩のダンスを見よう見まねで踊っていたそうです。自分から望んで受けたのではなく、気づいたら踊っていたという始まり方でした。

兄については「僕よりモテてましたね」と明かしています。さらに「僕の名前で(ジャニーズに)応募して、お兄ちゃんも一緒にオーディション受けて。ずっとジャニーさんと僕のお兄ちゃんは喋ってて、多分ジャニーさん的には僕じゃなくてお兄ちゃんを入れたかったんだと思います」と続けました。

それでも兄は「弟をよろしくお願いします」と話していたといいます。弟の背中を押したのは、兄のこの一言でした。

番組では歌の話も出ています。兄の歌唱力は「めっちゃうまいです」とのことで、「一緒にカラオケ行くと、キスマイの曲歌ってくれて『これが歌だからな』ってよく言われる」と明かしました。

自分の歌については「音痴の方を前面に出してしまってるので、そこは(兄に)怒られます」と話しています。入所のきっかけをくれた兄との距離が、大人になってからも近いことが伝わってくるやり取りです。

オーディションでの兄とのやり取りは、ラジオでも語られています。2019年9月11日深夜に放送された文化放送『Kis-My-Ft2 キスマイRadio』でのことです。同じ年の7月に亡くなったジャニー喜多川さんの思い出として、横尾さんが明かしました。

報道によると、保護者として付き添っていた兄に、ジャニーさんが「君も受けなさい」と声をかけたそうです。兄は「僕はやりたいことを決めているので、弟に託したい。弟を見守っててください」と断りました。するとジャニーさんは「じゃあ、僕はずっと弟の面倒を見てあげるよ」と答えたといいます。

横尾さんはこの話を受けて、「お兄ちゃんとの約束を叶えてくれてありがとうございます」と感謝を口にしました。「元々、ジャニーズに入るのは僕じゃなかったんですよ。お兄ちゃんなんです」とも振り返っています。

入所後も、この話は続いていたようです。「ちょいちょい、ジャニーさんに言われてたのが、『お兄ちゃんの方を入れたかった』って。多分、歌ができてないのがバレてたんでしょうね」と、苦笑いまじりに話しました。

テレビでは兄も一緒に受けたと話し、ラジオでは兄は誘いを断ったと話していて、語り方に少し違いがあります。ただ、兄がきっかけをつくり、兄が弟を託したという流れは、どちらの発言でも共通しています。

Kis-My-Ft2としてのデビューを、兄はとても喜んでいたそうです。横尾さんは兄について「不思議なお兄ちゃんです。周りから“仏”って言われてます」と紹介しました。兄の名前や仕事は、本人が番組で話した範囲を超えるため、ここでは触れません。

同期3人とJr.時代のユニット

2001年2月4日のオーディションには、のちに同じグループになる2人も参加していました。宮田俊哉さんと二階堂高嗣さんです。3人は同じ日に入所した同期にあたります。

入所から20年の節目にあたる2021年3月10日深夜のラジオで、横尾さんは当日の思い出を聞かれました。答えは「一番覚えてるのは、オーディションの日に、宮田俊哉くんと一緒にストレッチをしたこと。これは忘れられない」というものでした。

ただし、3人はすぐに同じグループになったわけではありません。デビュー前はそれぞれ別のユニットで活動していました。横尾さんは「多分もう一緒にグループは組まないんだろうなっていうのがあったりしたじゃん。それが、一緒のグループになってデビューできるのは、うれしいですよね」と話しています。

Jr.時代の前半、横尾さんが所属していたのはK.K.Kityというユニットでした。NEWSの小山慶一郎さんと2001年から2003年まで一緒に活動していたと報じられています。小山さんは2023年5月、横尾さんの誕生日に「Jr.の時は同じユニットでよく2人で遊んだよなー」と投稿しました。

小山さんも2001年入所の同期です。投稿では「うちら同期だから、二階堂と宮田も。2001年入所組の我々、がんばろー!」と呼びかけ、4人での集合写真を公開しました。

その後、2004年4月に前身のグループが結成され、2005年7月からKis-My-Ft2としての活動が始まりました。グループ名は7人の頭文字を並べたもので、「y」が横尾さんです。

同期の2人とは別々のユニットを経て、2005年7月に同じKis-My-Ft2のメンバーになりました。結成のころを、横尾さんは「本当に最後の最後くらいに、キュッと集まって。NEWSができて一年後くらいに、急にこのメンバーになったよね」と振り返っています。

番組の終わりに、宮田さんは「なんか不思議な縁だから、横尾さん、これからも末永くよろしくお願いします」と声をかけました。横尾さんは「よろしくお願いします。ご迷惑を多々かけると思いますけど」と返しています。

横尾渉の若い頃からの転機|デビュー前の葛藤と見つけた武器

  • ローラースケートとデビュー前夜
  • デビュー目前に辞めようとした
  • 舞祭組で向き合った原点
  • 資格を武器に変えた理由
  • 俳句は初心者から永世名人へ
  • 昔と変わったと言われる点
  • 横尾渉の若い頃まとめ

ここからは、デビュー前後の葛藤と、料理・資格・俳句が知られるようになるまでの経緯を見ていきます。

ローラースケートとデビュー前夜

グループが結成されたあとも、デビューまでの道のりは長く続きました。そのころの横尾さんについて、当時を知る人の回想が2026年8月に報じられました。

語ったのは、ミュージシャンの有待雅彦さんです。有待さんはデビュー前の横尾さんに、個人的にボイストレーニングをしていました。自宅の仕事部屋でレッスンをして、終わると一緒に食事をしながらいろいろな話をしていたそうです。

グループのCDデビュー15周年の告知を目にして、「Kis―My―Ft2、頑張ってるんだね」とつづったことが記事のきっかけでした。

記事によると、当時のグループはなかなかデビューが決まらず、メンバーは焦りを感じていたといいます。ある日、横尾さんは有待さんにこう相談しました。「有待さん、ジャニーさんがローラースケートを履けばデビューさせてくれるって言うんですけど、どう思います?」。

有待さんの答えは「履けー、光GENJIじゃん」でした。迷わず背中を押した形です。

結果として、Kis-My-Ft2は2011年8月10日に「Everybody Go」でCDデビューしました。デビューからわずか18日後には、東京ドームでの公演も開かれています。ローラースケートを使ったパフォーマンスは、グループを象徴するものになりました。

音楽メディアの記事では、ローラースケートは横尾さんの強みで、スピンや片足での滑走といった技も見せてきたと紹介されました。

有待さんは「あれから15年以上経ったのね」と時の流れに驚きながら、「渉君、元気かな!? 良い子のままかな!? お歌上手くなったかな」と懐かしんでいます。デビュー前から個人でレッスンに通っていたことからは、歌を自分の課題と考えて向き合っていた様子がうかがえます。

デビューの前年にあたる2010年10月には、フジテレビ系のドラマ『フリーター、家を買う。』でドラマ初出演も果たしました。Jr.として活動しながら、少しずつ仕事の幅を広げていた時期です。

デビュー目前に辞めようとした

念願のデビューが決まったとき、横尾さんの心の中は喜びだけではありませんでした。2023年6月に掲載されたスポーツ報知のインタビューで、本人が当時の葛藤を詳しく語っています。これまでの歩みについては「いつも、ぎりぎり格闘している感覚」と表現しました。

横尾さんによると、デビューにあたっては自分と二階堂さんを除いた5人で、という構想があったそうです。それを、北山宏光さんと藤ヶ谷太輔さんがジャニーさんに直談判してくれたと明かしました。

2011年2月に7人でのデビューが発表されたときの気持ちは、「うれしかった反面、才能のなさは自分がよく一番分かっていたので、すごく不安な気持ちになったんです」というものでした。グループに迷惑をかけてしまうのではないかと悩み、デビュー目前に辞めることまで考えたといいます。

幼稚園に入る前からの幼なじみに打ち明けると、「何をばかげたこと言ってんだ、もったいない」と号泣しながら怒られたそうです。その場にいた店のマスターにも怒られました。それでも気持ちの整理はつきませんでした。

デビュー目前、横尾さんは藤ヶ谷太輔さんに「デビューの日に僕はいないと思う」と伝えていました。

そのとき返ってきたのが、「とりあえず10年はキスマイにいよう」という言葉です。藤ヶ谷さんは面と向かって「困るよ。今のキスマイにあなたは必要です」と怒ってくれたといいます。

支えはデビュー後も続きました。歌の練習に付き合ってくれたり、舞祭組の番組収録の日には必ずメールをくれたりしたそうです。キスマイと舞祭組が同じ音楽番組に出る日には、舞祭組の出番が終わるまで残ってくれたこともあったといいます。

横尾さんは、ここまで続けてこられた理由を「藤ヶ谷の人生をかけた覚悟に誠意を見せたいという気持ちが大きい」と話しています。

同じインタビューでは「今でも『キスマイに自分がいていいのかな』と思う」とも打ち明けました。続けて「自分が何かしら努力しないと、いちゃいけない場所だと思っています」と語っています。

舞祭組で向き合った原点

デビューから約2年後の2013年12月、横尾さんは宮田さん、二階堂さん、千賀健永さんとの4人で舞祭組を結成しました。中居正広さんのプロデュースで、デビュー曲「棚からぼたもち」は作詞・作曲・振り付けも中居さんが手がけています。

発売後に掲載された音楽ナタリーのインタビューでは、前列の3人とは衣装が少し違い、踊りが中心だったそれまでの体制について質問が出ました。横尾さんは当時の気持ちを率直に語っています。

衣装については「向こうのほうがかっけえなとかキラキラしてるなとかありましたけど」と振り返りました。そのうえで、「中居さんが「後ろの4人、おまえらいつ白い衣装着れるんだ」みたいにいじってくれるようになってから、“前の3人”、“後ろの4人”って言い方をされ始めたので。僕は正直、そこまで意識したことはなかったですね」と話しています。

デビュー曲を初めて聴いたときの感想は「なんて歌詞だ」だったそうです。中居さんからは「100%、いや、それ以上完璧に俺は作ったからあとはおまえら次第だ」という言葉をもらい、横尾さんは「僕らは全部受け入れてやるしかないですよね」と受け止めました。

ただ、曲に込められた意味はまっすぐ受け取っていました。「なんか原点に戻れって言われてる感じですよね」と語っています。

続けて、「小学生のときとか事務所に入ったときって目の前のことを一生懸命やってたけど、時間が経って慣れてしまって初心を忘れてないかっていう」と説明しました。入所したころの自分を思い出すきっかけになったことが分かります。パフォーマンスで大事にしていることを聞かれると、「1曲歌ったら本当に倒れるぐらいの力でやることですね」と答えました。

同じインタビューでは、自分の武器を聞かれて「何が自分の武器かって言われたらちょっとわからないですけど。なんなんだろうな、武器」と答えていました。自己紹介では「“キスマイの母”と周りから言われております」と話しており、面倒見のよさはこのころから知られていたようです。武器を探していた横尾さんが見つけた答えが、次に紹介する資格でした。

資格を武器に変えた理由

横尾さんといえば、多くの資格を持っていることでも有名です。その出発点について、本人は2023年のインタビューでこう話しました。

「歌も踊りも笑いの能力もない中で、逃げだと言われてもいいから、ジャニーズのタレントがやっていないことをやろうと」。そして「資格を一つ取る度に自信がついていった」と続けています。

資格は、歌や踊りに自信を持てなかった横尾さんが、自分の居場所をつくるために選んだ道だったのです。

最初に仕事へつながったのは、ペット介護士の資格でした。2015年、朝日放送の『ペットの王国 ワンだランド』にゲスト出演したところ、資格を持っていることを知った番組プロデューサーからレギュラーのオファーが届きました。同じ年の10月4日の放送回から加わり、これが単独では初めてのレギュラー番組になりました。

加入にあたって横尾さんは「ペットを人間の都合だけで飼ったりしてはいけないという思いがあります」と話しています。

2017年8月には、マグロ解体師1級の合格がテレビ番組の中で発表されました。報道によると、当時この資格を持っていたのは国内で7人だけでした。3月に受けた試験では不合格で、仕事の合間に練習を重ねて再挑戦し、合格したそうです。

合格は条件付きで、ショーの経験がなかったため、しばらくは1級の解体師が立ち会う形でショーを行うとされました。

学ぶ姿勢の裏には、悔しい経験もありました。食事の席で年上の人の会話についていけず、「しょせんアイドルだもんな」と言われたことがあったといいます。そこから「じゃあ全部ついていけるようになろう」と、浅く広く勉強するようになりました。

2023年6月のインタビューでは、持っている資格や免許を聞かれて「全部でいくつあるか分からなくなってきてますね」と答えています。箸検定、ペット終活アドバイザー、整理収納アドバイザー、簿記、小型船舶2級などを挙げ、「今では資格は自分の名刺代わりです」と話しました。花開くまでに時間はかかったものの、今では自分の武器になったとも語っています。

俳句は初心者から永世名人へ

もう一つの転機が、TBS系のバラエティ番組『プレバト!!』の俳句です。初めて出演したのは2015年でした。

本人によると、当時は「学校の授業で数句読んだ程度の超初心者」だったそうです。出演が決まってからは「分からないなりに句集を読みあさった」と明かしています。理由は、準備をせずに出ればグループの看板や家族、ファンの顔に泥を塗ることになるから、というものでした。

結果はすぐには出ませんでした。2019年7月11日の放送では、名人3段のまま1年間昇格できない状態で昇格試験に挑みました。「もし昇格しなかった場合は、炎帝戦に予選から参加します」と宣言して臨み、1年ぶりの昇格を決めました。

2020年1月3日の放送では、名人と特待生だけが参加する俳句のタイトル戦「冬麗戦」で初優勝を果たしました。季語は「庖丁始」で、得意の料理を詠んだ一句でした。番組では、それまで優勝のなかった横尾さんが「無冠の名人」と紹介されていました。

決勝を見守ったメンバーの千賀健永さんは「僕は横尾さんが頑張っている姿をずっと見てきたし、グループの中で一番勉強熱心だから」と話し、男泣きしたと伝えられています。

2021年3月には、番組で詠んだ句が中学校の国語の教科書副教材に掲載されることが発表されました。知らされた横尾さんは「まさか自分が……と思っていたんで。でも中学生にはまってる句だと思います!」と喜びました。

超初心者から始めた俳句は、2023年8月10日の放送で永世名人への昇格という結果につながりました。昇格を告げられた横尾さんは「やりました!メンバー見てますか!」とガッツポーズを見せています。

途中にはスランプもあったそうです。添削を担当する夏井いつきさんに「正直、作り方が分からなくなってます」と相談したといいます。

夏井さんは横尾さんのマネジャーに好きな食べ物を聞いたうえで、「エビフライで5文字、母が作ったで7文字。はい、あと季語入れれば完成!」と示しました。「難しく考えすぎです」と言われて、はっとしたそうです。

昔と変わったと言われる点

若い頃と比べて何が変わったのかは、本人とメンバーの両方が語っています。どちらも、デビュー10周年の年にあたる2021年の雑誌『BAILA』のインタビューです。

横尾さん自身は、「20代の自分は、現場で嫌われたくないという気持ちが強く、自分の思いを表現することがまったくできなかったんです」と明かしました。年齢と経験を重ねて、ようやく考えや気持ちを伝えられるようになったといいます。

思ったことを言うときも、ただ反対するわけではありません。自分なりに情報を集めて勉強し、いろいろな方向から考えたうえで発言するように心がけていると説明しました。正直に言いすぎて、藤ヶ谷さんから「言い方!」と注意されることもあるそうです。

その根っこにある考えを、「僕が常に考えているのは、グループの可能性だったり、活躍の幅を狭めることだけは絶対にしたくないってこと」と説明しています。

メンバーから見た変化を語ったのは、北山宏光さんでした。「グループ内でのポジショニングが変わったんじゃないかな。バラエティ番組がきっかけで、ちょっと文化人っぽい感じになったよね」と話しています。さらに「生き生きしている横尾さんになってきた気がする」と続けました。

周りの声の受け止め方も変わりました。2022年の産経ニュースの記事によると、20代の頃はテレビを見た友人から「だせえな」と言われ、いらだつこともあったそうです。それが「今はただ、解釈の違いなんだ、って思える」ようになったと語っています。

仕事の面でも変化がありました。2023年4月にはNHK『あさイチ』の料理コーナーのレギュラーに加わりました。メンバーはデビュー当初から「料理番組やればいいのに」と言ってくれていたそうです。

私生活では、2023年1月26日に一般の女性との結婚を発表しました。

歌に自信が持てずに悩んでいた若い頃から、料理・資格・俳句という自分だけの場所を持つ人へ。変化の中身は、本人が時間をかけて積み上げてきたものでした。

横尾渉の若い頃まとめ

横尾渉さんの若い頃について、確認できたことをまとめます。

  • 1986年5月16日生まれ、神奈川県出身
  • 2001年2月4日、兄に「フットサルに行く」と連れて行かれたオーディションを経て入所した
  • オーディションで声をかけられた兄が、弟を託したと本人が語っている
  • 宮田俊哉さん、二階堂高嗣さんは同じ日に入所した同期
  • Jr.時代の前半は、小山慶一郎さんと同じK.K.Kityで活動した
  • 2005年7月からKis-My-Ft2となり、2011年8月10日にCDデビューした
  • デビュー目前に辞めることを考え、藤ヶ谷太輔さんの言葉で踏みとどまった
  • 2013年12月に舞祭組を結成し、その後は資格と俳句が自分の武器になった
  • 学校名は公式プロフィールに載っておらず、本人の発言や報道でも確認できなかった

兄に連れられて始まった道は、長いJr.時代とデビュー前の葛藤を経て、横尾さんならではの形に育っていきました。若い頃の迷いを隠さずに語るところも、横尾さんの魅力の一つです。

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