二階堂高嗣の実家は金持ち?両親に贈った新居と「ニカの家どうなってるの」発言の真相を解説

二階堂高嗣の実家は金持ち?両親に贈った新居と「ニカの家どうなってるの」発言の真相を解説

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Kis-My-Ft2のメンバーとして、歌やバラエティー、ドラマで活躍してきた二階堂高嗣さん。「実家は金持ちなの?」と気になって調べる人も多いようです。

二階堂高嗣さんの実家が金持ちだと裏付ける公式の情報や本人の発言は確認できず、両親の職業や収入も公表されていません。

一方で、テレビ番組では両親に新居を贈ったことを俳句にしており、ラジオでは家族との仲の良さが伝わる話をいくつも明かしています。

この記事では、金持ちと言われる理由と実家の場所、父・母・姉とのエピソードを、本人の言葉や報道をもとに整理します。

二階堂高嗣の実家は金持ち?噂の理由と分かっていること

  • 実家は金持ちなのか結論と基本情報
  • 「ニカの家どうなってるの」の場面
  • 両親に贈った新居と実家の場所

まずは、実家が金持ちと言われる理由を1つずつ確かめながら、分かっていることを見ていきます。

実家は金持ちなのか結論と基本情報

二階堂高嗣さんは1990年8月6日生まれ。所属事務所のプロフィールでは東京都出身、血液型はB型です。2001年に事務所へ入り、2011年8月10日にKis-My-Ft2のメンバーとしてCDデビューしました。

本人の話に登場する家族は、父・母・姉、そして祖母です。雑誌のインタビューでは「姉がいるんですけど、家族は、みんなすっごく仲がよくて」と話しており、家族仲の良さはラジオでも繰り返し口にしてきました。

実家と家族について分かっていることを、先に一覧にしておきます。

生年月日 1990年8月6日
出身地 東京都(所属事務所のプロフィール)
本人が語った家族 父・母・姉・祖母
実家は金持ちか 裏付ける公表情報は確認できない
両親の職業・収入 公表されていない
両親への贈り物 新居を贈ったことを番組で俳句にした
休養中の居場所 「ずっと実家にいました」と発言

結論から言うと、二階堂さんの実家が裕福だと示す公式の情報は確認できませんでした。所属事務所のプロフィールに載っているのは生年月日・出身地・血液型で、家族の仕事や家業に触れた記述はありません。

両親の職業や収入は、本人からも所属事務所からも公表されていません。

インターネット上には「父親が会社を経営している」「実家が空き巣に遭った」といった話も出回っていますが、いずれも本人の発言や報道では確認できませんでした。

一方で、二階堂さん自身の気前の良さが伝わる話は報じられています。2026年1月12日放送のラジオ番組では、年越しのコンサートの楽屋での出来事として、後輩にお年玉を渡したことを明かしました。

「お年玉あげた。僕はTravis Japanと、timeleszの猪俣くんと篠塚くん」。時間が合わなかった後輩には、マネージャーを通じて渡したそうです。共演者からツッコまれても笑って受け流す様子が、記事で伝えられています。

ただし、これは二階堂さん本人が働いて得た収入の使い道の話です。2001年に事務所へ入ってから長く芸能界で活動してきた人の懐事情と、実家の経済状況は、切り分けて考える必要があります。

「本人の羽振りが良さそう」という印象と「実家が金持ち」という話は、別のものです。前者には本人の発言がありますが、後者には裏付けがありません。二階堂さんが実家について話すときに出てくるのも、建物や資産のことではなく、家族と何をしたかという思い出がほとんどです。

「ニカの家どうなってるの」の場面

金持ち説の理由としてよく挙げられるのが、メンバーの宮田俊哉さんの「ニカの家どうなってるの!?」という一言です。これは、2021年7月22日放送のフジテレビ『キスマイ超BUSAIKU!?』で実際にあった発言でした。

ただし、実家を訪ねて驚いたという話ではありません。この日の番組では、1から100までの数字が書かれたカードを引き、その数字の大きさを、お題に沿った言葉だけで表現する「ito」というボードゲームに、当時のメンバー7人で挑戦していました。

お題は「おしゃれな男性の部屋にあるモノ」。二階堂さんは最初に「小さめなシャンデリア」と答え、途中で普通の「シャンデリア」に変えました。ほかのメンバーは、玉森裕太さんが「高級なグラス」、宮田さんが「アップライトのピアノ」、千賀健永さんが「JALの飛行機模型」といった答えを出しています。

答え合わせをすると、玉森さんのグラスは「76」、宮田さんのピアノは「71」でした。ところが、二階堂さんのシャンデリアは真ん中の「50」。さほど高くない数字をシャンデリアで表したことに、スタジオは騒然となったと報じられています。

二階堂さんが「(シャンデリアは)ちょうど50」と主張すると、宮田さんが思わず「ニカの家どうなってるの!?」とツッコミを入れました。

つまりこの言葉は、ゲームの回答に対するツッコミであって、実家の様子を見た感想ではありません。

さらに、自分にとっての「100」を聞かれた二階堂さんは、少し考えて「札束」と回答。玉森さんは「シャンデリア、50はないぜ」と物申し、藤ヶ谷太輔さんは「(ニカは)スターだから。みんなにとっての200がシャンデリアだけど、ニカはそれが50」といじって笑いを誘いました。

二階堂さんの独特な価値観が、メンバーとのやり取りの中で笑いになった場面です。バラエティー番組のゲームでの一幕ですから、実家の暮らしぶりを示す話として受け取ることはできません。

両親に贈った新居と実家の場所

実家と「家」にまつわる話で、本人が番組の中ではっきり形にしたものがあります。2025年12月4日に放送されたTBS系『プレバト!!』の俳句査定です。

この回のお題は「高い買い物」。番組の紹介記事では、41回目の俳句挑戦となる二階堂さんが「思い入れのある買い物エピソードで挑む」と伝えられていました。

二階堂さんが詠んだのは「冬の虹贈る新居や両親に」という句です。両親に新しい家を贈ったことを、そのまま十七音にしています。

査定は50点の「凡人」で、順位は第2位でした。夏井いつき先生の添削を受けたあとの句は「両親へ贈る新居や冬の虹」。放送回の副題にも「エルメス一軒家驚き武勇伝」という言葉が入っており、高額な買い物の1つとして家が取り上げられた回だったことが分かります。

ここで押さえておきたいのは、家を「贈った」のが二階堂さんの側だという点です。両親に家を用意してもらった話ではなく、息子から両親への贈り物として詠まれています。実家がもともと裕福だったことを示す話ではありません。

インターネット上では、この家の階数や設備について具体的な話も出回っています。ただ、放送内容の記録では建物の詳細までは確認できませんでした。

では、実家はどこにあるのでしょうか。所属事務所のプロフィールでは、二階堂さんは「東京都出身」です。レコード会社のプロフィールや、2013年の雑誌インタビューに添えられた経歴でも、同じく東京都出身と書かれています。

一方で、番組の紹介記事では埼玉県が「地元」として扱われたことがあります。2025年3月17日放送のテレビ朝日『10万円でできるかな 3時間SP』について、オリコンニュースは「二階堂は自転車をガンガン乗り回し、地元・埼玉のうどんチェーン店をはしご」と伝えました。

公式プロフィールでは東京都出身、番組の紹介では地元は埼玉と、2つの土地が出てくるのです。

実家の場所については、2025年1月のラジオ出演を伝えたニュースサイト「ENCOUNT」が「埼玉・八潮市の実家」と記しています。ただ、同じ放送を伝えたスポニチの記事は「実家」とだけ書いており、本人が番組の中で市の名前まで口にしたかどうかは、記事からは確認できませんでした。

インターネット上には、都内の別の地域を実家や自宅の場所として挙げる話もあります。しかし、こちらは本人の発言や報道では確認できませんでした。両親は一般の方ですので、この記事では公式プロフィールと報道に出ている範囲を超えて、実家の場所を絞り込むことはしません。

二階堂高嗣の実家の家族|父・母・姉とのエピソード

  • 父に教わったバック転と家族旅行
  • 姉に連れられたオーディション
  • 中学時代の反抗期と母との関係
  • 休養中に過ごした実家での時間
  • 二階堂高嗣の実家と金持ち説まとめ

ここからは、二階堂さんが語ってきた家族との思い出を、父・母・姉それぞれについて見ていきます。

父に教わったバック転と家族旅行

二階堂さんは2013年、雑誌『Myojo』のロングインタビューで子供の頃を詳しく振り返っています。

幼い頃は、かなりのいたずらっ子でした。「僕、4つくらい幼稚園を転々としてるんです」と明かし、女の子を泣かせてしまったり、お昼寝の時間に抜け出したりしていたと話しています。「先生や親に叱られても、全然聞いてなかったですね」とも振り返りました。

それでも、家族の仲は良かったそうです。「姉がいるんですけど、家族は、みんなすっごく仲がよくて。小学生のときとか、よく温泉とか家族旅行で行ってました」。

本人が語る実家の思い出は、豪華な暮らしぶりではなく、家族そろって出かけた温泉旅行なのです。

家族旅行によく出かけていたことを、金持ち説の理由に挙げる声もあります。しかし、家族で温泉に行くこと自体は珍しいことではなく、これだけで暮らし向きを判断することはできません。

父親について、職業や名前は公表されていません。本人の話に出てくるのは、仕事の中身ではなく、息子との関わり方です。

小学生の頃、目立ちたがりだった二階堂さんは「目立ちたくて親父にバック転を教えてもらいました」と話しています。周りからは「すごいね!」と言われたものの、「それ止まり」だったそうです。2026年5月に吉本新喜劇の舞台へ立った際にも、バク転で会場を沸かせたと報じられており、父親との練習がその原点だったことになります。

父親の言葉として印象に残るのが、2011年のCDデビューが決まったときの一言です。その前の年、二階堂さんは舞台の出演メンバーから外れたことをきっかけに、「俺はもうこのグループにいられないんだ」と思い詰めていました。

デビューが決まったときの家族の反応を聞かれると、「泣いてましたね。父親に言われたんです。“おまえも入ったな”って」と明かしています。

「俺が悩んでることわかってたんだな、支えてくれてたんだなって」と、父親の思いに気づいた瞬間を振り返りました。

多くを語らなくても、節目で息子を見守ってきた父親だったことが伝わってきます。

姉に連れられたオーディション

芸能界に入るきっかけを作ったのは、姉でした。二階堂さんは「お姉ちゃんにだまされたんです」と笑って振り返っています。

姉はKinKi Kidsのファンでした。小学4年生の頃、学校から帰ると郵便受けに事務所の名前が入った封筒が届いていたそうです。姉あてだと思って渡すと、中を読んだ姉から「いついつキンキのコンサートに行くからね」と言われました。

言われた日について行くと、着いたのは渋谷。そこはコンサートではなく、オーディションの会場でした。「コンサートは、いつ始まるんだって最後まで思ってて(笑)」と、当時の戸惑いを語っています。受付の人に「オーディションだね」と言われても、その言葉自体を知らなかったそうです。姉が弟に内緒で応募していたことになります。

姉は受付で「じゃ、私はここで」と離れてしまい、二階堂さんはいきなり振り付けを覚えることになりました。それでも「一生懸命踊りましたね」と話しており、年上の参加者にかわいがられたのが楽しかったそうです。

同じオーディションには、のちに同じグループになる宮田俊哉さんと横尾渉さんもいました。二階堂さんは、横尾さんに「振りつけ、おぼえました。見てください」と話しかけた記憶があると明かしています。

その後、雑誌に写真が載ると「お姉ちゃんは興奮してたと思います」。こうして2001年2月4日に事務所へ入りましたが、最初は仕事という感覚ではなく、遊びに行くような気持ちでレッスンに通っていたそうです。

このオーディションの記憶は、のちに俳句にもなっています。2022年11月17日放送の『プレバト!!』で詠んだ「初霜やオーディション会場不安」という句です。

二階堂さんは「大雪の日のオーディション会場がNHKだったんです。歩いていくのが、ものすごく辛かったなという思い出をそのまま表現しました」と説明し、この回の才能アリ1位に選ばれました。姉に連れ出された1日が、その後の人生を決めることになったのです。

中学時代の反抗期と母との関係

家族仲の良い二階堂家にも、ぎくしゃくした時期がありました。2022年2月23日放送のラジオ『Kis-My-Ft2 キスマイRadio』で、二階堂さんは思春期の頃の話をしています。

「家に帰らないとかは? 俺、中一から中三までほとんど家帰ってない」。この告白に、一緒に出演していた藤ヶ谷太輔さんは「それは思春期じゃない、事件です」とツッコミを入れました。

当時は「友だちの家にずっといた。ただただ家にいるのが嫌だった」そうです。「姉ちゃんとも顔を合わせたくないし、母ちゃんともしゃべりたくないし」という心境だったと明かしています。

中学時代は、学校でも苦しい時期でした。雑誌のインタビューでは「中学は友だち少なかったんですよね」と話し、「クラスで1日、誰ともひと言もしゃべらない日があったり」したと振り返っています。すでにJr.として活動していたことで、周りから距離を置かれていたそうです。通っていた学校の名前は公表されていません。

当時の気持ちについては「きつかったっすね。ひたすら耐えてました」と語っています。強がりながらも、今思えばさびしかったのだろうと自分で振り返っており、家でも学校でも落ち着ける場所を見つけにくい時期だったことがうかがえます。

そんな時期を経て、大人になってからの母親との関係は大きく変わりました。

同じラジオで「一緒に買い物に行ったら、母ちゃんと腕組んだりする」と話し、仲の良い親子になったことを明かしています。

「母ちゃんがコテンとか、つまづいたりしたら支える」とも語っており、年を重ねた母親を気づかう様子がうかがえます。藤ヶ谷さんも「自分が歳を重ねていたら、当たり前だけど両親も年を重ねてるから、それはあるね」と共感していました。

反抗期について二階堂さんは、時間がたてば必ず落ち着くものだという趣旨の話もしています。家に寄りつかなかった中学時代を自分の口で笑って話せるところに、今の親子の距離の近さが表れています。

休養中に過ごした実家での時間

二階堂さんは2024年9月に体調不良で活動を休止し、2025年1月に活動を再開しました。復帰後の1月27日に放送されたMBSラジオ『アッパレやってまーす!』では、「どうも!Kis-My-Ft2の二階堂です!ただいま~」と明るく登場しました。約4か月ぶりの番組復帰でした。

拍手で迎えられると「すいません。ご迷惑をおかけしました。すいません」と謝り、休んでいる間もこの番組を聞いていたと話しています。そのうえで、休養中の過ごし方を自分の言葉で語りました。

「ずっと実家にいました。10年以上ぶりにあんなに家族といましたね」。休養に入って最初の約1か月は、テレビも見られないほど気持ちが沈んでいたそうです。

外に出るきっかけを作ったのは家族でした。「家族が最初“買い物行く?”って」。昼ごはんや夜ごはんの食材の買い出しに誘われ、一緒に出かけたことから、少しずつ外に出られるようになったと振り返っています。

「家族と結構、外に出たりする時間も多かったですね」とも話しました。「親父が冬休み入った時に旅行連れてってくれたり、おばあちゃんと一緒に旅行できました」と、父親に連れて行ってもらった旅行や、祖母と一緒に出かけた旅行のことも明かしています。

忙しい毎日の中では持てなかった家族との時間を、実家でゆっくり過ごしたことになります。子供の頃によく出かけていた家族旅行を、大人になってからもう一度味わう形になりました。

そして、「自分の体、気持ちと向き合ったことなくて、それめっちゃ大事だなって」と語りました。これから忙しくなったときにも、その時間が必要だと感じたそうです。

両親に新居を贈ったことを詠んだ「冬の虹贈る新居や両親に」の句が放送されたのは、復帰と同じ2025年の12月でした。実家が金持ちかどうかは分かりません。ただ、苦しいときに帰れる場所があり、買い物や旅行に連れ出してくれる家族がいたことは、本人の言葉からはっきり伝わってきます。

二階堂高嗣の実家と金持ち説まとめ

二階堂高嗣さんの実家と金持ち説について、分かっていることをまとめます。

  • 所属事務所のプロフィールでは1990年8月6日生まれ、東京都出身
  • 実家が金持ちだと裏付ける公式の情報や本人の発言は確認できない
  • 両親の職業や収入は公表されていない
  • 「ニカの家どうなってるの!?」は、ゲームの回答に対する宮田俊哉さんのツッコミだった
  • 『プレバト!!』で「冬の虹贈る新居や両親に」と詠み、両親に新居を贈ったことを明かした
  • 番組の紹介記事では「地元・埼玉」とされ、実家を埼玉・八潮市と記した報道もある
  • 子供の頃は、家族でよく温泉旅行に出かけていた
  • 父にバック転を教わり、姉に連れられてオーディションを受けた
  • 休養中は「ずっと実家にいました」と語り、家族に支えられた

金持ちかどうかよりも、家族の仲の良さが伝わってくる実家でした。これからの活躍にも注目です。

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