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本並健治さんの学歴を調べると、小学校から大学まで細かく書いている記事が見つかります。
ただ、そのうち確実なのは高校と大学だけです。小学校と中学校のほうは、少し様子が違います。
書かれている学校の所在地が、公表されている出身地と食い違っているんです。
この記事では、確認できる部分とできない部分を切り分けたうえで、野球少年がゴールキーパーになるまでをたどっていきます。
目次
本並健治の学歴は清風高校から大阪商業大学へ
まずは、確実に分かっているところから見ていきましょう。
- 学歴の全体像を整理
- 清風高校で全国大会へ
- 大阪商業大学での4年間
- ユニバーシアード代表に
- 松下電器へ進んだ理由
学歴の全体像を整理
最初に、全体を通して確認しておきます。
本並健治さんの高校は清風高等学校、大学は大阪商業大学です。
この2つは複数のプロフィールで一致していて、講演依頼サイトなどの公的な紹介文にも同じ内容が載っています。まず動かない部分と考えていいでしょう。
一方で、小学校と中学校については事情が違います。詳しく書いている記事はあるものの、出典が示されていません。
先に、確認できることとできないことを一覧にしておきます。
| 小学校 | 学校名を書く記事はあるが出典がない |
| 中学校 | 同上。しかも公表されている出身地と食い違う |
| 高校 | 清風高等学校。複数のプロフィールで一致 |
| 大学 | 大阪商業大学。学部は商経学部経済学科とされる |
| 卒業後 | 1987年に松下電器産業サッカー部へ入団 |
| 競技の転向 | 中学2年まで野球。友人の誘いでサッカーへ |
つまり高校から先は追いやすく、それより前はぼやけているという状態です。順に見ていきます。
清風高校で全国大会へ
高校は、大阪市内にある清風高等学校です。
仏教系の男子校として知られる進学校で、当時の偏差値は61から71ほどだったと紹介されています。
サッカーの名門というより、学業で名前の通った学校ですね。それでも本並さんは、ここでゴールキーパーとして力をつけていきます。
紹介されている競技歴によれば、インターハイと国体に出場し、大阪選抜にも選ばれていたそうです。府内でトップクラスの評価を受けていたことになります。
中学でサッカーを始めた選手が、高校で全国の舞台に立ったわけです。
後述しますが、本並さんが本格的にサッカーを始めたのは中学3年からとされています。そこから数年での急成長ということになりますね。
大阪商業大学での4年間
高校卒業後は、大阪商業大学へ進みます。
学部は商経学部の経済学科だったと紹介されています。当時の偏差値は43ほどとされ、進学校だった高校から見れば、競技を続けやすい環境を選んだ形でしょう。
ここでの4年間が、プロへの直接の足がかりになりました。
紹介されている記録では、1年生からレギュラーの座をつかんでいます。大学サッカーで1年からゴールマウスを任されるというのは、それだけ完成度が高かったということですね。
さらに全日本大学サッカー選手権で3連覇を果たしたとも書かれています。当時の大阪商業大学が全国区の強豪だったことがうかがえます。
ただ、これらの競技歴も出典が示されていません。学校名ほどの確度はない点は、頭に置いておきたいところです。
ユニバーシアード代表に
大学時代の実績で、もうひとつ挙げられているのがこれです。
ユニバーシアードの日本代表に選出されていた、とされています。
ユニバーシアードは学生の国際総合競技大会で、いわば大学生の五輪にあたるものです。ここに選ばれるということは、全国の大学生のなかでトップの評価だったことになります。
のちに本並さんは、フル代表として国際Aマッチに3試合出場しています。1994年5月29日のキリンカップ・フランス戦がデビュー戦でした。
学生時代から代表クラスの選手として見られていたことが、この流れからも読み取れますね。
ゴールキーパーというポジションは、他と比べて選手寿命が長い代わりに、若手が定位置を取りにくい面もあります。それでも学生の頃から評価されていたわけです。
体格の面でも恵まれていました。本並さんの身長は186センチで、1980年代の日本人選手としてはかなりの長身にあたります。
ゴールマウスの高さは決まっていますから、背が高いだけで守れる範囲が変わります。技術に加えてこの体格があったことも、早い段階から評価された理由でしょう。
松下電器へ進んだ理由
大学卒業後の進路も、当時の事情を映しています。
1987年、松下電器産業のサッカー部に入団しました。
このチームが後のガンバ大阪です。つまりJリーグが始まる前の、企業スポーツの時代に社会人になったことになります。
当時はプロ契約という仕組みがまだありません。選手は企業の社員として働きながらプレーするのが普通で、サッカーだけで生きる道は用意されていませんでした。
大阪商業大学から大阪の企業チームへ。地元を離れずにキャリアを重ねた形ですね。
そして1993年にJリーグが開幕し、本並さんはガンバ大阪の守護神としてプロの世界に立つことになります。学生時代からの積み上げが、時代の変化とちょうど噛み合った形でした。
本並健治の学歴で確認できない部分|小中学校と野球時代
ここからは、確認が取れない部分を見ていきます。
- 小中学校は出典がない
- 出身地との食い違い
- 中学までは野球少年
- 転向のきっかけは友人
- 本並健治の学歴についてまとめ
小中学校は出典がない
まず引っかかるのが、小学校と中学校の書かれ方です。
検索上位の記事は、小中の学校名まで具体的に断定しています。
ところが、その記事には出典がひとつも示されていません。どの報道から得たのか、本人が語ったものなのか、まったく分からない状態です。
同じ記事には、少年野球でのポジションや打順まで書かれています。細かければ細かいほど確からしく見えますが、根拠が示されていない点は変わりません。
学歴に関する情報は、高校や大学なら学校側の記録や報道で裏が取れることがあります。ところが公立の小中学校となると、本人が語らないかぎり確認する手立てがありません。
そして、この件にはもうひとつ引っかかる点があります。
出身地との食い違い
書かれている学校の場所を見ると、話が合わなくなります。
記事が挙げている小中学校は、公表されている出身地とは別の市にあります。
本並さんの出身地として広く紹介されているのは大阪府枚方市です。府の北東部に位置する市で、京都との境に近いエリアにあたります。
ところが記事に書かれている学校は、いずれも大阪市内のものでした。枚方市からは距離があり、通学圏として自然とは言いにくい場所です。
もちろん、子どもの頃に転居していれば説明はつきます。出身地の表記が実際とずれている可能性もあるでしょう。
ただ、どちらの説明も推測にすぎません。学校名にも出身地にも決め手となる出典がない以上、この記事では断定を避けておきます。
分かるのは「大阪で育った」というところまでです。
こうした食い違いは、まとめ記事どうしが互いを参照し合うときに起きやすいものです。誰かが書いた学校名が次の記事で前提として扱われ、出身地のほうは別の情報源から取ってくる。すると出どころの違う2つの情報が、1本の記事の中で矛盾したまま並ぶことになります。
本人が語っていない領域を無理に埋めようとすると、こうなるという典型例でしょう。
中学までは野球少年
学歴とあわせて知っておきたいのが、競技の変遷です。
本並さんは中学2年まで、サッカーではなく野球をやっていました。
これは本人がラジオ番組で語ったとして紹介されている内容です。学校名などと違い、本人発言に基づく話ですね。
小学生の頃は野球チームに所属していたとされ、打順は4番だったという記述もあります。中心選手として扱われていたことになります。
父親が元プロ野球選手だったのではないか、という噂が流れているのも、この経歴と無関係ではないでしょう。家庭に野球の話題があったからこそ、少年時代の本並さんもバットを握っていたのかもしれません。
ちなみに、その噂について本人は「分からない」と答えており、母親は否定したと伝えられています。
転向のきっかけは友人
では、なぜサッカーに変わったのでしょうか。
きっかけは、友人に誘われたことだったとされています。
中学3年でサッカー部に入り、そこでゴールキーパーを選びました。学歴の話としては地味な一行ですが、キャリア全体で見ればここが最大の分岐点です。
もし誘われていなければ、日本代表のゴールキーパーは生まれていなかったわけですから。
興味深いのは、野球経験がゴールキーパーと相性のいい点です。手を使う競技ですから、捕球の感覚はそのまま生きます。長身で肩も強い選手が、最後尾でボールを掴む役割を任されたのは自然な流れだったのでしょう。
そして中学3年から始めた選手が、高校でインターハイ、大学で全国制覇、社会人で日本代表まで行き着きます。スタートの遅さを考えると、かなり急な上り方ですね。
本並健治の学歴についてまとめ
ここまでの内容を整理します。
- 高校は清風高等学校、大学は大阪商業大学。この2つは複数のプロフィールで一致している
- 大学の学部は商経学部経済学科とされ、1年からレギュラーだったと紹介されている
- ユニバーシアード代表にも選ばれ、1987年に松下電器産業サッカー部へ入団した
- 小学校と中学校は具体名を書く記事があるが、出典がない
- しかもその学校の所在地は、公表されている出身地とは別の市にある
- 中学2年までは野球をやっており、友人の誘いで3年からサッカーへ転向した
学歴という切り口で見ると、この人のキャリアは高校から先がはっきりしていて、それ以前はぼんやりしています。裏方として長く仕事をしてきた人ではなく、現役時代から名前の知られた選手だったにもかかわらず、です。
逆に言えば、そのぼんやりした時期にこそ転機がありました。中学3年でサッカー部に入るという小さな出来事が、後の日本代表につながっている。記録に残らない部分のほうが大きかった、という珍しい経歴だといえそうです。
