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小手伸也さんの出身はどこなのか、気になって検索された方が多いのではないでしょうか。
先に結論をお伝えすると、出身は神奈川県ですが、育った場所は愛知県名古屋市と東京都板橋区に分かれています。
そして出身校をたどると、東京都文京区の都立竹早高校から、2年の浪人を経て早稲田大学教育学部へと進んでいます。
この記事では、生まれた場所・育った場所・通った学校を順番に整理していきます。
目次
小手伸也の出身は神奈川県|育った場所は名古屋と板橋
まずは、生まれてから中学校までの土地の移り方を追っていきます。
- 生まれは神奈川県
- 幼少期は名古屋で過ごす
- 小中学校は板橋区の公立
- 転居が多かった子供時代
生まれは神奈川県
小手伸也さんの出身は神奈川県で、1973年12月25日に生まれています。
クリスマスの生まれということで、番組などで触れられることもある誕生日です。プロフィールに出身地として書かれているのは神奈川県で、事務所はオフィスPSCです。
ただし、神奈川県で育ったわけではありません。生まれた場所と育った場所が違うため、「出身」と検索したときに情報が食い違って見えるのはこの点が原因です。
先に、出身と学歴の全体像を一覧にしておきます。
| 出身 | 神奈川県(1973年12月25日生まれ) |
| 幼少期 | 愛知県名古屋市(小学校低学年まで) |
| その後 | 東京都板橋区へ転居 |
| 小学校 | 板橋区立紅梅小学校 |
| 中学校 | 板橋区立赤塚第一中学校 |
| 高校 | 都立竹早高校(東京都文京区) |
| 大学 | 早稲田大学教育学部(2浪・1999年3月卒) |
| 卒業後 | 就職せず劇団innerchildで活動 |
この並びを頭に入れておくと、以降の話が追いやすくなります。
幼少期は名古屋で過ごす
生まれた後、小手伸也さんが最初に過ごしたのは愛知県でした。
小学校低学年までは愛知県名古屋市で過ごしたと語られています。
つまり、記憶が形になる時期の生活圏は名古屋だったことになります。神奈川県で生まれ、幼いうちに愛知県へ移ったという流れです。
親の仕事の都合などで幼少期に移り住むケースは珍しくありませんが、小手伸也さんの場合は、この後さらに東京へ移ります。生まれ・幼少期・学齢期で、生活する土地が三度変わったことになります。
なお、名古屋で過ごした時期のエピソードは、ほとんど語られていません。転居の理由も公表されていないため、この記事でも「小学校低学年まで名古屋にいた」という事実までにとどめます。
出身地を一言で答えづらい経歴で、本人が語る場面によって「神奈川」「名古屋」「板橋」のどれかが前に出ることがあります。この記事では、出生地としての神奈川県を出身、名古屋と板橋を育った場所として区別しておきます。
小中学校は板橋区の公立
名古屋の次に生活の場になったのが東京です。
その後は東京都板橋区へ移り、板橋区立紅梅小学校と板橋区立赤塚第一中学校に通いました。
どちらも板橋区立の公立校です。私立の受験を経たわけではなく、地元の学校にそのまま進む形でした。
板橋区は東京23区の北西部にあたり、都心とは雰囲気が違う住宅地の多い区です。芸能界とはまったく縁のない環境で、演劇に触れる機会もなかったと考えられます。
演劇との出会いが高校時代になるのは、この生活環境も関係しているのでしょう。小学校・中学校の時期については、演劇に関するエピソードが語られていません。
俳優としてのプロフィールに書かれる「神奈川県出身」と、実際に学校に通った板橋区が違うため、地元の有名人として語られる文脈も分かれます。名古屋で過ごした時期を含めれば、三か所それぞれに縁があることになります。
なお、当時の住所や実家の場所といった情報は公表されていません。この記事でも学校名までにとどめておきます。
転居が多かった子供時代
ここまでの流れを整理すると、子供時代に土地が三度変わっています。
神奈川県で生まれ、名古屋市で幼少期を過ごし、板橋区で小学校と中学校に通う。この移動が、小学校低学年という早い段階で起きています。
転校を経験している場合、環境に慣れる力が求められます。小手伸也さんが後の高校時代に、バスケットボール部、コーラス部の助っ人、山岳部の手伝い、コンピューター研究同好会、演劇部の助っ人と、いくつもの場所に顔を出しているのは印象的です。
本人はこの頃の自分を「いろんな部活に顔を出す変な奴」だったと振り返っています。ひとつの場所に固定されない身の軽さは、育ちの中で身についたものかもしれません。
とはいえ、ここは推測が入る部分です。公表されている事実は、生まれが神奈川県で、名古屋を経て板橋区の公立校に通ったという点までになります。
小手伸也の出身校は竹早高校と早稲田大学|進路の決め方
ここからは、出身校とその選び方を見ていきます。
- 都立竹早高校に進学
- 演劇と出会った高校時代
- 2浪で早稲田大学へ
- サークルは掛け持ち
- 就職せず役者の道へ
- 小手伸也の出身と出身校まとめ
都立竹早高校に進学
中学卒業後の進学先は、都立の伝統校でした。
進学先は東京都文京区にある都立竹早高校でした。
1899年に開校した歴史のある学校で、古くから進学校として知られています。偏差値は67とされ、都立高校の中でも難関にあたります。
板橋区の公立中学校からこの高校に進んでいるので、学力の面では十分な結果を出していたことになります。後に2年の浪人をしていることから勉強が苦手だったと思われがちですが、高校受験の段階では難関校に届いていました。
この高校での過ごし方が、また変わっています。1年生でバスケットボール部に入ったものの早々に退部し、その後はコーラス部の助っ人として合唱コンクールに出たり、山岳部の手伝いをしたり、コンピューター研究同好会に在籍したりしていました。
そして演劇部にも助っ人として関わり、舞台に立った経験を持っています。学校の中にあるいろいろな場所に首を突っ込んでいた3年間で、その延長線上に演劇との出会いがありました。
浪人したのは学力の問題ではなく、行きたい大学が1つに絞られていたからです。その理由が、高校時代に生まれています。
演劇と出会った高校時代
小手伸也さんの人生を決めた出来事が、この高校時代に起きています。
高校時代に届いた1枚のDMが、演劇に進むきっかけになりました。
送られてきたのは、早稲田大学の劇団「カムカムミニキーナ」の公演案内でした。実際に観に行ったところ強い衝撃を受け、演劇をやるならこのサークルだと思うようになります。この劇団には俳優の八嶋智人さんが在籍していました。
高校では演劇部の助っ人として舞台に立った経験もあり、素地はありました。ただ、進路として演劇を選ぶ決め手になったのは、この観劇体験だと語られています。
八嶋智人さんは、後にドラマやバラエティで広く知られる俳優です。その人が学生として立っていた舞台を客席から観ていたことになります。
目標が「演劇をやること」ではなく「早稲田のあのサークルでやること」まで具体化していたのが、この人の場合の特徴です。
高校の進路指導の場では説明しづらい志望理由でしょう。それでも、この一点のために2年をかけることになります。
2浪で早稲田大学へ
目標が決まった後の進路選択は、かなり思い切ったものになります。
2年の浪人を経て早稲田大学教育学部に一般受験で合格しています。
推薦やスポーツ枠ではなく、一般受験での入学です。目当てのサークルがある大学に入るという一点のために、2年をかけたことになります。
浪人していた期間には、エキストラのアルバイトも経験しています。受験勉強の合間に撮影現場を見ていたわけで、演劇や映像への関心が続いていたことが分かります。
学部の選び方にも特徴があります。演劇を学ぶために演劇系の学科を選んだのではなく、教育学部でした。学部よりも、あのサークルに入れる大学であることが優先されたことになります。
早稲田大学教育学部の偏差値は65とされています。竹早高校に続いて難関校で、目標のためには勉強もするという姿勢が一貫しています。
高校受験と大学受験のどちらも難関を通っているので、学歴だけを見ればまじめな進学組です。その学力を、就職ではなく演劇に使ったところがこの人の経歴の面白さです。
サークルは掛け持ち
入学後の大学生活は、想像以上に活動的でした。
大学では演劇倶楽部に所属し、テニスサークルとアイスホッケー同好会にも顔を出していました。
演劇倶楽部は、憧れの劇団の母体からもう少しカジュアルな形で活動していたサークルだと語られています。まずここで演劇を学ぶ選択をしたことになります。
なお、この演劇倶楽部とアイスホッケー同好会が、後に妻となる女性との出会いの場になったとも伝えられています。学生時代の縁が家庭につながった形です。
在学中の1997年には劇団innerchildを旗揚げしています。学生のうちに自分の劇団を持ち、作家・演出家・俳優を兼ねる立場になりました。
劇団名の「innerchild」は、内面に残る子どもの部分を指す心理学の言葉です。心理学や神話をモチーフにした作品を書くという方向性が、劇団の名前の時点で決まっていたことになります。
日本神話や古事記への造詣が深く、後年は講演も行うようになりますが、そうした関心もこの時期に育っています。
出身校でサークルに入り、そこで演劇を覚え、在学中に自分の劇団を持つ。大学の4年間で、その後の活動の形がほぼできあがっていたわけです。
就職せず役者の道へ
大学の出口での選択が、その後の20年を決めました。
1999年3月に留年せず卒業し、就職はせずに役者の道を選びました。
2年の浪人がありながら大学は4年で終えています。学業を放り出して演劇に没頭したわけではなかったことになります。
一方で就職はしませんでした。親からは反対されたと語られていますが、アルバイトをしながら劇団の活動を続けています。通販番組のコールセンターでのアルバイトは、2019年まで続くことになりました。
2001年『HERO』の現場リポーター役でドラマに初出演し、2002年には『ごくせん』第1シリーズに記者役で出演します。ただし本格的に名前が知られるのは、2016年の大河ドラマ『真田丸』、そして2018年の『コンフィデンスマンJP』『SUITS/スーツ』からです。
出身校で演劇に出会ってから、そこにたどり着くまでに20年以上かかったことになります。
小手伸也の出身と出身校まとめ
最後に、この記事で確認できたことを整理します。
- 出身は神奈川県で、1973年12月25日生まれ
- 小学校低学年までは愛知県名古屋市で過ごした
- その後は東京都板橋区へ転居し、板橋区立紅梅小学校・板橋区立赤塚第一中学校に通った
- 高校は東京都文京区の都立竹早高校(1899年開校の伝統校)
- 高校時代に届いたDMをきっかけに早稲田大学の劇団の舞台を観て、演劇を志した
- 2年の浪人を経て早稲田大学教育学部に一般受験で入学
- 大学では演劇倶楽部・テニスサークル・アイスホッケー同好会で活動し、1999年3月に卒業
- 在学中の1997年に劇団innerchildを旗揚げし、卒業後も就職せず役者を続けた
小手伸也さんの出身をたどると、生まれた神奈川県、幼少期の名古屋市、学齢期の板橋区と、土地が分かれています。そのため「出身はどこ」という問いに一言で答えづらい経歴です。
一方で出身校のほうは一本の線でつながっています。都立竹早高校で演劇に出会い、そのために早稲田大学を目指し、その大学で自分の劇団を立ち上げる。今の小手伸也さんの原型は、この2つの学校で作られたと言えるでしょう。

