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Kis-My-Ft2のメンバーで、アニメ好きのアイドルとして知られ、声優や作家としても活動の場を広げてきた宮田俊哉さん。「大学はどこ?」「卒業したの?」と気になる方も多いのではないでしょうか。
宮田俊哉さんの出身大学は所属事務所の公式プロフィールに載っておらず、メディアの記事では「国士舘大学卒業」と紹介されています。
本人は、周りが「大学に行くのか、就職するのか」と進路を決めていく高校時代に悩み、芸能の仕事を続ける覚悟を決めたと語っています。
この記事では、宮田俊哉さんの大学について、公式情報と本人の言葉、メディアの報道をもとに整理します。
目次
宮田俊哉の大学はどこ?公式情報と報道で分かること
- 大学について分かっていること
- 「国士舘大学卒業」と報じた記事
- 高校時代に迫られた進路の選択
- 学園祭に出られなかった高校時代
まずは、大学について公式に分かっていることと、報道での紹介のされ方、そして進路を決めた高校時代の話を見ていきます。
大学について分かっていること
宮田俊哉さんは1988年9月14日生まれ、神奈川県出身です。2001年2月4日に事務所へ入り、2005年に結成されたKis-My-Ft2のメンバーとして、2011年8月10日に「Everybody Go」でCDデビューしました。
大学について確認できたことを、先に一覧にしておきます。
| 公式プロフィールの学歴 | 記載なし(生年月日・出身地・血液型のみ) |
| 大学名 | メディアの記事で「国士舘大学卒業」と紹介 |
| 学部・在籍した年 | 本人の発言や公式の発表では確認できず |
| 高校時代の進路 | 進学か就職かで悩み、芸能の仕事に覚悟 |
| 高校卒業の学年 | 2007年春(生年月日からの計算) |
| CDデビュー | 2011年8月10日 |
所属事務所の公式プロフィールに載っているのは、生年月日と出身地、血液型です。出身校を書く欄はなく、同じページに並ぶほかのメンバーも同じ形式でした。事務所が大学名を発表した記録も、今回調べた範囲では見つかりませんでした。
一方で宮田さんは、高校時代の進路の悩みやデビュー前の下積みについて、インタビューやテレビ、ラジオで語ってきました。学校名は出さなくても、当時どんな気持ちで仕事と向き合っていたのかは、本人の言葉でたどることができます。
この記事で本人の言葉として確認できたのは、大学名ではなく、進路を決めた高校時代の話でした。
ここからは、大学名がどのように報じられているのかと、本人が語った学生時代の中身を順に見ていきます。
「国士舘大学卒業」と報じた記事
宮田さんの大学名を挙げているメディアの記事に、All About ニュースが2025年7月13日に公開した「高学歴だと知って驚いたSTARTOタレントランキング」があります。宮田さんはこのランキングの10位に入り、「国士舘大学卒業」と紹介されました。
このランキングは、編集部が同じ月の4日から7日にかけて、全国の20代から70代の男女250人に行ったアンケートをまとめたものです。同じ記事には、早稲田大学や明治学院大学を卒業したと紹介されたタレントも並んでいました。
このようにメディアの記事では、宮田俊哉さんは国士舘大学の卒業生として紹介されています。
ただし、この記事は大学名の出どころまでは書いていません。先に触れたとおり公式プロフィールに学歴の欄はなく、宮田さん本人が大学名を口にした発言の原文も、今回は確認できませんでした。
インターネット上には、学部や学科、入学と卒業の年まで書いたページが数多くあります。本人がラジオ番組で大学名を明かした、と紹介するページもありました。
しかし、学部の名前はページによって食い違っており、確認したページには出典となる雑誌の号や放送日が示されていませんでした。名前の挙がった番組の公式ブログを調べても、該当する放送の記録は見当たりません。
国士舘大学の公式サイトでも、宮田さんを卒業生として紹介するページは見つけられませんでした。大学名については、本人や事務所、大学のいずれからも、はっきりした形の発信を確認できていないことになります。
そのためこの記事では、学部・学科や在籍した年については断定せず、「メディアの記事で国士舘大学卒業と紹介されている」という範囲でお伝えします。
高校時代に迫られた進路の選択
大学に関わる話として、本人の言葉ではっきり残っているのが、高校時代の進路の悩みです。2025年2月に公開された雑誌『Oggi』のウェブ版のインタビューで、宮田さんは芸能界の仕事に覚悟を決めた瞬間を聞かれました。
宮田さんは「まさに高校生のころ、周りが大学に行くのか、就職するのかと進路を決めていく中で」、自分はこのままでいいのかと悩んだと振り返っています。そのうえで、“やっぱりこの仕事が好きだ”と覚悟を決めたと話しました。
事務所に入ったきっかけは、母親が堂本光一さんのファンだったことでした。幼い頃から「光一くんみたいな王子様になるんだよ」と言われて育ったといいます。
最初は親の夢だったものが、仕事を続けるうちに変わっていきました。宮田さんは「次第に親の夢と自分の夢が重なってきたんですよ」と語り、「自分の夢としてはっきり意識したのは高校3年生のとき」と明かしています。
同級生が進学か就職かを選ぶ高校3年生の時期に、宮田俊哉さんは芸能の仕事を自分の夢として選んだのです。
誰かに相談して決めたわけではなかったようです。「学校の友達には相談できない話でもあったから、自分と向き合って決めていった部分が大きいかな」と話しています。
グループの中では年齢が真ん中で、年上のメンバーがいました。その姿を見て「まだ平気だろう」という気持ちも少しあったと、笑いながら明かしています。「自分が年上だったらもっと迷っていたかもしれません」とも語りました。
1988年9月生まれの宮田さんにとって、高校3年生は2006年度にあたります。CDデビューは2011年8月なので、覚悟を決めた時点では、デビューまでまだ4年以上ありました。先の見えない中での決断だったといえます。
このインタビューでは、高校を出たあと大学へ進んだかどうかまでは語られていません。ただ、進学か就職かという同級生と同じ分かれ道に立ったうえで、仕事を続けると自分で決めていたことが分かります。
学園祭に出られなかった高校時代
高校の校名も、公式プロフィールには載っておらず、本人の発言では確認できませんでした。はっきりしているのは、高校時代にはすでにアイドルとして働いていたことです。
同じ『Oggi』のインタビューで、宮田さんは自身の学生時代をこう振り返りました。「高校時代はすでにアイドルをしていたので、 “みんなとは違う”という目で周りから見られていると感じていたこともあり」。クラスの中で、少し距離を感じる場面があったことがうかがえます。
学校行事にも、思うようには参加できませんでした。「クラスのみんなが学園祭の準備をしている中、自分は仕事で参加できないことが決まっていて孤独を感じたことも」と明かしています。
輝かしい青春は送れなかった、とも話しました。理由として挙げたのが、「高校生のときにKis-My-Ft2というグループができて、ローラースケートの練習で怪我をして、毎日いろんな先輩の曲の振り付けを覚えて、という忙しない日々を過ごしていたので」という当時の生活です。
それでも宮田さんは、この時期を前向きにとらえています。「僕にとっての青春は“キスマイ”かな!」と語りました。
取材では、高校生の頃の自分の性格にも触れています。「僕は高校生のころ、女の子をイジるなんて絶対できなかったし、“女の子には優しくしなさい”と言われて育ったのでモテないタイプでした…(笑)」と明かしました。
さらにさかのぼると、子どもの頃からアニメが大好きで、同じ作品を何度も見てセリフを覚えていたそうです。別のインタビューでは「覚えたセリフを登校時ひとりでしゃべっているような不思議な奴だったんですよ(笑)」と振り返っています。
2024年10月には、高校のボート部を描いたアニメ映画『がんばっていきまっしょい』に声の出演をした際、「僕ら世代だったらこんな青春したかった!」とコメントしています。部活や行事に打ち込む高校生活へのあこがれは、大人になってからも残っていたようです。
宮田俊哉の大学時代にあたる時期の活動とデビューまで
- 小6で入所し高2でグループ結成
- 下積み6年を経てCDデビュー
- アニメ好きを貫いた唯一の反抗期
- 「学力小卒」から挑んだ小説執筆
- 宮田俊哉の大学まとめ
ここからは、入所からグループ結成までの流れと、大学時代にあたる時期の活動、その後の歩みを見ていきます。
小6で入所し高2でグループ結成
宮田さんが事務所に入ったのは2001年2月4日です。2024年5月のラジオ番組では「小学校6年生の時、2001年に(事務所に)入ったんですよ」と話しました。
同じ日には、のちに同じグループになる横尾渉さん、二階堂高嗣さんも入所しています。2021年3月放送のラジオ『Kis-My-Ft2 キスマイRadio』では、横尾さんが「一番覚えてるのは、オーディションの日に、宮田俊哉くんと一緒にストレッチをしたこと」と話しました。
ただ、入所後すぐに同じグループになったわけではありません。宮田さんは同じ放送で「Jr.のころは最初みんなバラバラだったよね」と当時を振り返っています。
中学生の頃に所属していたのが、「田組」というユニットです。2017年6月放送のテレビ番組で、宮田さんは「宮田とか江田とか、田んぼの田が付くやつをひたすら集めて」作られたグループだったと説明しました。
活動については「一応、嵐のバックとかやってたんですけど」と話しています。嵐の松本潤さんからは『田組はさすがに売れないだろ、グループ名が』と言われていたそうです。この田組には、名字に「た」が入る北山宏光さんも加わっていたと明かしました。
転機になったのは2005年7月26日でした。この日、北山宏光さん、千賀健永さん、宮田俊哉さん、横尾渉さん、藤ヶ谷太輔さん、玉森裕太さん、二階堂高嗣さんの7人で、Kis-My-Ft2が結成されています。横尾さんは結成の頃を「急にこのメンバーになったよね」と振り返りました。
1988年9月生まれの宮田俊哉さんにとって、Kis-My-Ft2が結成された2005年7月は高校2年生の学年にあたります。
前の章で紹介した「高校生のときにKis-My-Ft2というグループができて」という本人の言葉とも重なります。進路に悩んだ高校3年生は、結成の翌年度でした。グループの一員としての毎日が始まっていたことも、仕事を続けると決めた背景にあったのでしょう。
下積み6年を経てCDデビュー
1988年9月生まれの宮田さんが高校を卒業する学年は、2007年春です。4年制の大学にそのまま進んだ場合、卒業の時期は2011年春になります。これは生年月日からの計算で、本人が在籍した年を語ったものではありません。
この4年間は、Kis-My-Ft2がデビュー前のジャニーズJr.として活動していた時期とちょうど重なります。ORICON NEWSは当時のグループについて、「6年にもおよぶジャニーズJr.時代から全国ツアーを行うなど人気は盤石」だったと伝えています。
高校生の時点ですでに人気があったことを先のインタビューで聞かれると、宮田さんは「大人気だったんですよね、自分ら(笑)」と笑って答えました。
CDデビューが発表されたのは、2011年2月12日です。コンサートツアーの最終日公演で、ファンの前でサプライズとして知らされました。4年制大学に進んだ場合の卒業を目前にした時期にあたります。
そして2011年8月10日、Kis-My-Ft2は「Everybody Go」でCDデビューを果たしました。東京・恵比寿で開かれた発売記念イベントには、約1万2000人のファンが集まったと報じられています。ステージでは、トレードマークのローラースケートでデビュー曲を披露しました。
デビューシングルは発売初日に17.5万枚を売り上げ、オリコンのデイリーランキングで1位を獲得しています。韓国や台湾、香港、タイなどアジアの地域でも同時に発売されました。日本だけでなく海外にも向けた、規模の大きなデビューだったのです。
デビューからわずか18日後には、東京ドームでの公演も行っています。結成から数えて6年あまり、高校2年生の学年で始まったグループの活動が、ここで大きな節目を迎えました。
なお、この時期に学業と仕事をどう両立していたのかについて、本人が語った記録は今回確認できませんでした。分かるのは、高校を出たあとの4年間が、デビューを目指す下積みの時期だったということです。
アニメ好きを貫いた唯一の反抗期
宮田さんは、アニメ好きを公言するアイドルの先がけともいえる存在と紹介されています。のめり込むきっかけは中学3年生のときでした。堂本光一さんの舞台『Endless SHOCK』に出演して初めて出演料をもらい、そのお金で自分の部屋に置くテレビを買ったといいます。
うれしくて夜中までテレビを見ているうちに、深夜アニメに出会いました。さらに「高校生の時にアニメ『いちご100%』(2005年)を見て“萌え”というジャンルに出会いました」と、2020年のインタビューで語っています。
ただ、当時はアイドルがアニメ好きを公言することは多くありませんでした。2023年のインタビューによると、打ち合わせで「アニメの話はしないようにね」と言われたこともあったそうです。
宮田さんは「わかりました。言いません」と答えつつ、現場では「思いっきり話していました」と笑って明かしました。「こんなにも好きなんだから、正直に好きと言いたい」と考えていて、隠すことにどうしても納得できなかったからです。
アニメの話を止められても好きだと言い続けた時期を、宮田俊哉さんは人生で「唯一の反抗期」と呼んでいます。
この話を伝えたORICON NEWSの記事は、その時期を「反抗期の10代」という見出しで紹介しました。1988年9月生まれの宮田さんが10代だったのは2008年9月までで、高校時代からその少しあとまでの時期にあたります。同じORICON NEWSの別の記事には、2011年のCDデビュー前後からアニメ好きの話題をたびたび出していたとも書かれています。
音楽番組『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』では、宮田さんが“ヲタ芸”を披露するのが恒例になっていたそうです。2016年には、アルバム『I SCREAM』でソロ曲「ヲタクだったってIt’s Alright!」を発表しました。宮田さんは当時の選択について、「でも、今の自分の姿を見て、間違っていなかったなと思います」と語っています。
「学力小卒」から挑んだ小説執筆
学歴にまつわる本人の言葉として印象的なのが、作家デビューのときの発言です。宮田さんは2024年5月24日、青春小説『境界のメロディ』で作家デビューしました。
発売日に出演した文化放送のラジオ番組『大竹まことゴールデンラジオ』で、大竹まことさんから、小学6年生からアイドルをしていて小説とは距離が遠いのではないかと聞かれます。難しい言い回しはどうしたのか、という質問でした。
宮田さんは「本当に大竹さんのおっしゃる通り、学力小卒みたいなところからのスタートだったんですけど、1年間ぐらい、本を書くっていうことを勉強させてもらって」と答えています。
具体的には、目の前の机の上の様子を文章にしてみる、といった練習を重ねたそうです。番組では、物語が途中で過去の場面に切り替わる書き方について、大竹さんから「あんなテクニックをどうして(笑)」と驚かれる場面もありました。
大学卒業と紹介されることもある宮田さんですが、この場面では学歴を前に出さず、自分の学力を「小卒みたい」と笑いに変えていました。作家デビューが決まった際には「自分の魂をめちゃくちゃ注ぎ込みました」とコメントしています。
作家デビューにあたっては、約1年かけて文章の書き方を一から学んだと明かしています。
必要なことを一から学ぶ姿勢は、声優の仕事でも同じでした。2020年公開の『劇場版 BEM 〜BECOME HUMAN〜』で声優に初めて挑んだときは、自分からマネージャーにレッスンを頼み、声優の浪川大輔さんが代表を務める声優スクールに通っています。
レッスンでは、台本のめくり方から直接教わったといいます。分からないことが多かったため、期間を延長して何度も通ったそうです。
その理由を、宮田さんは「好きだからこそ妥協はしたくない気持ちがあります」と説明しました。小学6年生から仕事を続けてきたぶん、大人になってから自分で学び直してきたことが、声優や作家といった新しい仕事につながっています。
宮田俊哉の大学まとめ
宮田俊哉さんの大学について、分かっていることをまとめます。
- 宮田俊哉さんは1988年9月14日生まれ、神奈川県出身
- 所属事務所の公式プロフィールに学歴の記載はない
- All About ニュースのランキング記事では「国士舘大学卒業」と紹介されている
- 学部・学科や在籍した年は、本人の発言や公式の発表では確認できなかった
- 高校時代、周りが進学か就職かを決めていく中で悩み、高校3年生のときに芸能の仕事を自分の夢として意識した
- 高校時代は仕事で学園祭に参加できず、孤独を感じたこともあった
- 小学6年生で入所し、高校2年生の学年にあたる2005年7月にKis-My-Ft2が結成された
- 大学時代にあたる時期はデビュー前の下積みと重なり、2011年8月10日にCDデビューした
- 作家デビューの際は「学力小卒みたいなところからのスタート」と話し、約1年かけて書き方を学んだ
進学か就職かで揺れた高校時代に仕事を選び、大人になってからも学び続けてきたことが、宮田俊哉さんの土台になっています。これからの活躍にも注目です。
