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Kis-My-Ft2のメンバーで、ドラマ『信長のシェフ』『グランメゾン東京』など俳優としても知られる玉森裕太さん。どこの学校に通い、どんな学生時代を過ごしたのか気になる方も多いのではないでしょうか。
玉森裕太さんは小学校・中学校・高校の校名を自分では明かしていませんが、高校は女子校が共学になった年に入学し、女優の仲里依紗さんと同じクラスだったことが番組で語られています。
中学1年でオーディションを受けて事務所に入り、高校に通う頃にはグループの一員として舞台やコンサートに立っていました。
この記事では、玉森裕太さんの学歴と学生時代のエピソードを、本人の発言や報道をもとに整理します。
目次
玉森裕太の学歴|小中高の校名と入所までの歩み
- 学歴の基本情報と校名の扱い
- 地元は練馬でとしまえんの近く
- 中学1年で泣きながら受けた審査
- 卒業式でボタンが全部消えた伝説
- 若い両親と弟に囲まれた家庭
まずは学歴の全体像と、子供の頃から中学時代までのエピソードを見ていきます。
学歴の基本情報と校名の扱い
玉森裕太さんは1990年3月17日生まれ、東京都出身のアイドル・俳優です。血液型はB型で、Kis-My-Ft2のメンバーとして2011年にシングル「Everybody Go」でデビューしました。
学歴について確認できたことを、先に一覧にしておきます。
| 小学校 | 校名は公表されていない |
| 中学校 | 校名は公表されていない(1年のときに事務所へ入所) |
| 高校 | 校名は本人が明かしていない(女子校が共学になった年に入学) |
| 高校の同級生 | 仲里依紗さん(同じクラス) |
| 高校の頃の活動 | 2005年に結成されたKis-My-Ft2で活動 |
| 大学 | 進学したという発表や本人の発言は確認できなかった |
3月生まれの玉森さんは、生年月日から数えると2002年4月に中学校へ、2005年4月に高校へ入る学年にあたります。事務所に入ったのは2002年で、中学1年のときでした。つまり、中学1年から高校に通う年齢のあいだはずっと、学校に通いながらジャニーズJr.として活動していたことになります。
通った小学校・中学校・高校の名前は、本人が番組やインタビューで明かしたものを見つけることができませんでした。グループの公式サイトのプロフィールに載っているのも生年月日・出身地・血液型で、出身校の欄はありません。
インターネット上では、高校を日出高校(現在の目黒日本大学高校)とする紹介が広く見られます。ただ、本人の発言や公式の発表では確認できませんでした。
手がかりになる発言はあります。玉森さんは2019年のラジオで、女子校だった学校が共学になったタイミングで入学したと話しました。日刊ゲンダイDIGITALは2025年の記事で、日出高校が男子生徒を受け入れ始めたのは2005年からだと伝えており、玉森さんが高校に入る学年になった年と時期は重なります。
とはいえ、時期が重なるというだけで、校名そのものを裏づける発言や報道ではありません。同じ記事に玉森さんの名前は出てきませんでした。
小学校と中学校についても、練馬区内の公立校の名前を挙げる記事が見られます。しかし、その多くは実家の場所からの推測として挙げられているもので、根拠となる発言や資料は示されていませんでした。
この記事では、裏づけの取れない校名を事実としては扱わず、本人が語った学生時代のエピソードを中心にお伝えします。
地元は練馬でとしまえんの近く
出身地について、公式のプロフィールは「東京都」とだけ紹介しています。もう少し詳しい話が出たのは、2023年2月に公開された映画『シャイロックの子供たち』のインタビューでした。
共演した上戸彩さんが「玉ちゃん、練馬出身なのに練馬のことを全然知らないんですよ」と話すと、玉森さんは「生まれた街ですから、覚えてるつもりなんですけどね。」と返しています。生まれた街が練馬であることを、本人も認めたやり取りです。
2024年6月のラジオでは「僕地元がとしまえんにめっちゃ近くて」と明かし、Hey! Say! JUMPの有岡大貴さんと一緒に遊びに行った思い出を「楽しかったなー。ああいう思い出」と懐かしみました。
同じ放送で、子供の頃の夏の過ごし方も話しています。「家族でサーフィンに行ってたので、ずっと真っ黒で」と振り返り、事務所に入ってからもしばらくは海に通っていたそうです。デビュー前に当時のマネージャーから「顔、黒すぎ」と言われ、それをきっかけに行かなくなったと明かしました。
2022年の『徹子の部屋』でも、入所したばかりの頃は海によく行っていたと話しています。
地元の友人とのつながりも、何度か語られています。2019年のインタビューでは「僕、地元の友達で2人しかいないんですよ(笑)。そいつらとは、幼稚園からずっと一緒で、もちろん喧嘩もしました。」と話しました。
2020年2月のラジオでは、友達と呼べる相手について「ちゃんと話せる人かな。本音で。」と自分なりの基準を挙げています。そのうえで、地元の友達は昔から一緒にいるので信頼があると話しました。
2021年1月に放送された『A-Studio+』では、司会の藤ヶ谷太輔さんが、玉森さんの地元の同級生である幼なじみを取材しています。藤ヶ谷さんは「友達がいないと聞いていたので、タマにも帰れる場所があると知って安心した」と語りました。幼稚園の頃からの友人関係が、大人になってからも続いていたことが分かります。
中学1年で泣きながら受けた審査
玉森さんが事務所に入ったのは2002年、中学1年のときです。きっかけは母親の応募でした。
2022年7月に出演した『徹子の部屋』によると、当時は芸能界にまったく興味がなく、オーディションの日も友人と遊ぶ約束をしていたそうです。ところが母親に押し切られ、会場へ向かうことになりました。
本人はこう振り返っています。「どうせ受からないんだから、友だちとの約束はいつでもできるでしょ、行きなさいって言われて、泣きながら車に入れられて送られたんです。そこからが始まりですね」。
会場には200人ほどが集まっていました。当時は背が低かったため、どんどん前に出され、気づけば一番前の鏡の前に立っていたといいます。
「『踊れ』って言われても踊れないし、何か怖くなっちゃって。泣きながら踊ってたら」、その姿がジャニー喜多川さんの目に留まりました。そのまま会場に残され、アイドル誌の撮影に進んだそうです。その後については「気づいたら今に至ってる感じですね」と話しています。
2013年7月の『A-Studio』でも、家族に説得されて半ば無理やり会場へ連れて行かれたと明かしました。そのときの心境は「恥ずかしくて何もできないし、いきなり怒られるし、中1ながら泣いてしまって…」というものでした。
自分から望んだわけではなく、泣きながら受けたオーディションが、芸能界への入り口になったのです。
なお、オーディションを受けたときの年齢は、記事によって伝え方が少し違います。本人が番組で口にしているのは「中1」という学年です。
入所したばかりの頃の出来事も、2023年4月のラジオで明かされました。ダンスレッスンで振り付けが分からず、ふと目に入った宮田俊哉さんに「宮田くん」と声をかけて教えてもらおうとしたところ、「おい、宮田さんと呼べ」と返されたそうです。玉森さんは「なんだこいつ!?」と思ったと振り返りました。
宮田さんは1年ほど先輩にあたります。のちに同じグループのメンバーになる2人の、最初のやり取りでした。
卒業式でボタンが全部消えた伝説
学生時代のエピソードとして、玉森さんが何度か話しているのが卒業式の出来事です。
2019年2月のラジオで、宮田さんから「シャツのボタンも全部取られて、前がはだけたまま家に帰ったことがある」と話を振られると、玉森さんは「ありましたね。僕の伝説」と認めました。
当時の制服は学ランでした。「本当にそこのボタンいるの?ってところまで取られたのよ」と話し、袖のボタンや詰襟のバッジまでなくなったと明かしています。
話はそれで終わりません。「私物の靴をくれとか。靴あげたら、俺帰れないじゃん!」と、靴まで求められたことも打ち明けました。さすがにこれは渡さなかったようです。
前がはだけたままの帰り道については「学校から家までの距離が近くて良かった」と笑い話にしています。話を聞いた宮田さんは「いや~モテるね。人気者の証拠ですよ」と感心していました。
2024年1月に放送された『突然ですが占ってもいいですか?』でも、同じ思い出が語られました。「すごいモテてたかどうか分かんないんですけど」と前置きしつつ、「卒業式の時に、学ランのボタンを渡すじゃないですか。あれで中のワイシャツのボタンまで取られたことがあります」と話しています。
学ランのボタンだけでなく、中に着ていたワイシャツのボタンまでなくなったというのです。
これにはメンバーからも「いやモテてんじゃん!」「それはすげーよ」とツッコミが入りました。「シャツ前開けで家に帰ったの?」と聞かれると、「そうそう。学ランもシャツも前開けで家に帰りました」と答えています。
どの学校の卒業式だったのかは、これらの番組を伝えた記事には書かれていません。2019年3月にはウェブメディアのアサジョが、芸能レポーターの話として、中学校の卒業式での出来事だと紹介しました。
同じ番組では、人見知りな性格にも触れています。ドラマの現場で何度も顔を合わせている相手から「毎回会う度に初めましての感覚」と言われたことがあるそうです。
若い両親と弟に囲まれた家庭
玉森さんの家族は、両親と弟です。2021年1月の『A-Studio+』では、笑福亭鶴瓶さんが両親と弟を取材し、中学生のときのオーディションの裏話や、部屋はシンプルできれい好きといった素顔が明かされました。
2022年7月の『徹子の部屋』では、両親がとても若いときに自分が生まれたことを話しています。黒柳徹子さんも「本当に私ビックリしたんだけど、あなたのご両親すごく若いのね」と驚いていました。
玉森さんは自分に置き換えて、「中学生ぐらいの息子を育ててることになるので」と当時の両親の大変さを想像しています。「今の自分じゃ絶対無理だなあと思う」と語り、育ててくれた両親への感謝を口にしました。
若い頃は玉森さんの自宅に集まり、藤ヶ谷太輔さんとは一緒にサーフィンに出かける間柄だったことも、2021年の『A-Studio+』で紹介されました。
反抗期についても、同じ番組で触れています。「反抗期もありました」と認め、母親にきつい言葉をぶつけてしまったことを「本当に申し訳ない」と振り返りました。
印象に残るのは、その終わり方です。母親と喧嘩をすると、ふだんは懐いている飼い犬が玉森さんを噛みに来たそうで、「それが嫌すぎて反抗期が終わりました」と明かしています。
2024年1月に公開された番組の先行配信では、反抗期は「ほぼなかった」としたうえで、「一度だけ喧嘩したことはある」と話しました。自分が悪かったと前置きし、母親と言い合いになった末に父親も加わって「家族で大乱闘起こしちゃって(笑)」と笑いに変えています。
語るたびに少しずつ言い方は違いますが、家族との距離の近さは共通しています。『徹子の部屋』では、ライブツアーのたびにチケットを用意し、両親と祖父母を招いていることも話しました。
2023年5月5日のこどもの日には、自身のInstagramに幼い頃の写真を投稿しました。弟と思われる小さな子供と並んだ一枚もあります。なお、家族は一般の方のため、名前や仕事など公にされていないことはここでは扱いません。
玉森裕太の学歴と高校時代|共学1年目の同級生と進路
- 共学1年目で仲里依紗と同級生
- 後輩に先を越された高校時代
- 成績表の「0」と大学進学の有無
- 玉森裕太の学歴まとめ
ここからは、本人や同級生の言葉が残っている高校時代と、その後の進路を見ていきます。
共学1年目で仲里依紗と同級生
高校時代の様子は、2019年7月のラジオで本人が詳しく話しています。
玉森さんが入学したのは、女子校だった学校が共学に切り替わったタイミングでした。
そのため、学校には男子の部活がなかったそうです。一緒に出演していた北山宏光さんは「それモテるやつやん」と盛り上がりましたが、玉森さんの答えは「いや、意外とモテなかった」でした。
入学式の日の光景も印象に残っているようです。「入学式のとき、校舎向かう途中に、教室の窓から女の子が全員顔を出して腕組んで新入生を品定めしてる姿を見たときもあった」と振り返りました。
友人はその日のうちに女子から連絡先を渡されていたのに、自分には何もなかったとも明かしています。北山さんに「出遅れてるじゃん玉森裕太」とツッコまれると、「スタートダッシュ切れなかったわ」と返しました。この放送では、高校時代にプールの授業がなかったことも話題になっています。
この高校での同級生として、番組ではっきり名前が出ているのが女優の仲里依紗さんです。2014年6月6日に放送された『キスマイBUSAIKU!?』に仲さんがゲスト出演し、仲さん、玉森さん、千賀健永さんの3人が同じ高校の出身であることが明かされました。
仲里依紗さんは番組で、玉森さんと「同じクラスだった」と明かしています。
当時の玉森さんについて、仲さんは「廊下に追いやられてるイメージ(笑)」と話しました。理由は「男子が5人くらいしかいなかったから」だといいます。
これを受けて玉森さんも「てか、俺ら女の子にハブられてたから(笑)」と冗談まじりに振り返っています。女子校から共学になったばかりで男子が少なかったという、本人のラジオでの話とも合っています。
千賀さんは2人の1学年下にあたります。番組では仲さんに「お久しぶりです、パイセン!」とあいさつし、仲さんから「全然ジャニーズぽくない(笑)」と言われていました。
番組の中で仲さんは「でも、変わってなくて良かった」とも話しています。玉森さんと仲さんは、2011年4月期のドラマ『幸せになろうよ』でも共演しました。同じ教室にいた2人が、数年後に同じ作品に出ていたことになります。
インターネット上には、ほかにも同級生として複数の芸能人の名前が挙がっています。ただ、同じ高校だったことを本人たちの発言で確認できたのは、仲里依紗さんと、1学年下の千賀健永さんだけでした。
後輩に先を越された高校時代
玉森さんが高校に入る学年になった2005年、Kis-My-Ft2が結成されました。高校生活は、グループの最初の数年間とそのまま重なっています。
2020年の雑誌では、初めて舞台に立った場所が帝国劇場だったと振り返りました。劇場のある一帯について「銀座は僕にとって“始まった場所”でもあります」と語っています。
ただ、デビューまでの道のりは長いものでした。結成からCDデビューまでには6年かかっています。玉森さんは当時、「次そろそろ俺らなんじゃないか」と自分たちの順番を心待ちにしていたそうです。
ところが2007年、入所の遅い後輩グループのHey! Say! JUMPが先にCDデビューしました。玉森さんたちは、そのデビューコンサートでバックダンサーを務めることになります。生年月日から数えると、高校に通う学年にあたる時期の出来事です。
2018年8月の『TOKIOカケル』では、このときの気持ちを「それがキツくて。悔しかったし、火がついた。一瞬腐りかけたけど、バネにしようと思って」と語りました。
2019年5月の『おしゃれイズム』では、後輩のデビューを事務所のホームページで知ったときのことを「すごく嫌な空気が流れた」と明かしています。バックで踊った日については「悔しくて悔しくてしょうがなかった」「ふてくされてました」と振り返りました。
2020年2月に放送されたドキュメンタリー番組でも、「後輩が先にデビューしたときは精神的にも結構しんどかった。でも結果、それがバネになって腐らずにできた。さらに火が付いた」と話しています。2021年の『A-Studio+』では、「悔しすぎて絶対にデビューしてやろう」と思ったと語り、この経験で「エンジンがかかった」と表現しました。
デビュー前には、先輩ユニットの歌のリハーサルで宮田さんと一緒に代役を務めたものの、本番では外されたという苦い経験もあったそうです。2013年の『A-Studio』では「辛かったですけど、これが実力だなと」と受け止めていました。
教室では少数派の男子として過ごし、仕事では後輩の後ろで踊る。10代後半の玉森さんは、華やかなイメージとは少し違う日々を送っていたことが分かります。
成績表の「0」と大学進学の有無
高校時代の成績にまつわる話は、2021年1月8日放送の『A-Studio+』で明かされました。この回は、番組が事前に家族や友人を取材しています。
高校時代の成績表に「0」という数字が付いていたことが、番組の取材で明かされました。
これには本人も苦笑い。「自分でもよくわかってなくて」と話し、家族も「これは良いやつなの悪いやつなの?」と戸惑ったそうです。
番組を紹介した記事でも「謎の成績」と表現されていました。どの科目だったのか、なぜその数字になったのかは、報じられた範囲では分かりません。司会の藤ヶ谷太輔さんは、取材でこうした話を次々と聞いたといい、「昔からそんなだったんだ、っていう安心感!」と感想を口にしました。
成績の数字だけを見ると驚きますが、玉森さんはこの時期、すでにKis-My-Ft2の一員として舞台やコンサートに立っていました。学校と仕事の両方を抱えながらの高校生活だったことは、頭に入れておきたいところです。
では、高校のあとは大学に進んだのでしょうか。
大学に進学したという発表や本人の発言は、確認できませんでした。
インターネット上には、大学には進学せずに芸能活動へ専念したと書く記事が多く見られます。ただ、本人がそう語った番組やインタビューは見つかりませんでした。この記事では「確認できなかった」という範囲でお伝えします。
はっきりしているのは、高校を卒業する年齢を過ぎた頃から、俳優としての仕事が増えていったことです。2009年3月28日に放送された『ごくせん卒業スペシャル’09』でドラマに初めて出演し、同じ年の7月に公開された『ごくせん THE MOVIE』で映画にも初出演しました。
2011年7月にはドラマ『美男ですね』で初主演を務め、翌8月にKis-My-Ft2としてCDデビューを果たします。入所からおよそ9年後のことでした。2013年には『信長のシェフ』でドラマ単独初主演を果たし、その後も『グランメゾン東京』などの作品に出演を重ねました。
大人になってからは、自分から学ぶ姿勢も見せています。2025年4月の雑誌のインタビューでは語学の勉強に触れ、「海外でのお仕事で“勉強していたらもっと楽しかったのにな”と思ったのがきっかけ」と話しました。
玉森裕太の学歴まとめ
玉森裕太さんの学歴について、確認できたことをまとめます。
- 1990年3月17日生まれ、東京都出身で、生まれた街は練馬
- 小学校・中学校・高校の校名は、本人の発言や公式の発表では確認できなかった
- 2002年、中学1年のときに母親の応募でオーディションを受け、事務所に入った
- 学ランで迎えた卒業式では、ワイシャツのボタンまでなくなった
- 高校は、女子校が共学になったタイミングで入学した
- 高校では仲里依紗さんと同じクラスで、1学年下に千賀健永さんがいた
- 高校時代の成績表に「0」が付いていたことが番組で明かされた
- 大学に進学したという発表や本人の発言は確認できなかった
泣きながら受けたオーディションから始まり、学校と仕事を行き来しながら過ごした学生時代が、玉森裕太さんの土台になっています。これからの活躍にも注目です。

