たくろう きむらバンドの高校は?進学校でバンドに熱中し松山大学へ進んだ学生時代

たくろう きむらバンドの高校は?進学校でバンドに熱中し松山大学へ進んだ学生時代

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2025年12月のM-1グランプリで優勝したお笑いコンビ「たくろう」のきむらバンドさん。愛媛県鬼北町で生まれ、松山市で育った芸人です。どこの高校を出ているのか、気になって調べる方も多いのではないでしょうか。

きむらバンドさんは高校時代、部活には入らずバンド「サディスティック・ジョーカー」でベースを弾き、そのバンド仲間と同じ松山大学へ進みました。

本人が「進学校」と話す高校に通っていましたが、校名は本人のインタビューや吉本興業の公式プロフィールでは確認できませんでした。

この記事では、本人の言葉が残っている範囲で、小中学校から高校、松山大学、NSCに進むまでの学生時代を整理します。

きむらバンドの高校|校名と進学校でのバンド活動

  • 学歴の基本情報と校名
  • 小中学校と松山への転校
  • 進学校でバンドに熱中

まずは、学歴の全体像と、高校の校名の扱い、小学生から高校3年生までの様子を見ていきます。

学歴の基本情報と校名

きむらバンドさんは1990年1月28日生まれで、吉本興業の公式プロフィールでは出身地が愛媛県松山市とされています。ORICON NEWSなどの報道では「愛媛県鬼北町生まれ・松山市出身」と紹介されていて、生まれは鬼北町、育ちの中心は松山市という流れです。吉本総合芸能学院(NSC)の大阪校36期の出身で、相方は滋賀県出身の赤木裕さんです。

学歴について確認できたことを、先に表でまとめます。

生まれ・出身 愛媛県鬼北町生まれ、松山市出身
小学校・中学校 小学4年生まで鬼北町、その後は松山市で過ごした(校名は確認できず)
高校 本人いわく「進学校」(校名は確認できず)
高校時代の活動 部活には入らず、バンド「サディスティック・ジョーカー」でベース
大学 松山大学(落語研究部に所属)
大学の修了 4年間在籍し、卒業式に辞めたと本人が説明
その後 1年間のフリーターを経てNSC大阪校へ

校名こそ分かりませんが、学生時代の話は本人が複数のインタビューで語っています。吉本興業の若手芸人を紹介する「月刊芸人」(2021年)、「ch FILES」(2018年)、四国電力のメディア「愛でたい四国」(2026年)、Number Web(2026年)の4つです。ここからは、この4つをもとに順を追って見ていきます。

きむらバンドさんが通った高校の校名は、本人の発言や吉本興業の公式プロフィールでは確認できませんでした。公式プロフィールに載っているのは、生年月日、出身地、趣味、特技、NSCの期だけで、学校名の欄はありません。

高校時代を語った月刊芸人、ch FILES、愛でたい四国の3つのインタビューも、どれも校名には触れていません。「高校」という言葉は何度も出てくるものの、固有名は出てこないのです。

インターネット上には、特定の県立高校の名前や偏差値を挙げる記事があり、Wikipediaや人物データベースにも校名が載っています。ところが、Wikipediaが出典として挙げている月刊芸人の記事を開いて全文を確認しても、校名の記載はありませんでした。校名を示す本人の発言や大手報道が見つからない以上、この記事では校名を断定しません。

偏差値や学科についても、校名が確認できないため触れないことにします。校名が分からなくても、どんな高校生活だったかは本人の言葉からかなり具体的に分かります。次の見出しから、そのエピソードを順に見ていきましょう。

小中学校と松山への転校

高校の前に、小学校と中学校の頃の話を見ておきます。きむらバンドさんは愛媛県鬼北町で生まれ、愛でたい四国のインタビューでは「鬼北町は小学4年生までいたので、松山にも鬼北町にもどっちにもいっぱい思い出があります」と話しています。月刊芸人では、小学4年生ごろまで住んでいた鬼北町を、愛媛県の中でも「めっちゃ田舎」で、同級生は10人くらいだったと振り返っています。

鬼北町では、吉本新喜劇と明石家さんまさんの真似をして「人気者でした」と話しています。「ちょっとでも面白かったらナンバー1なんですよ」と語っていて、笑いを取ることの楽しさを知ったのは、この小さな町でのことでした。

小学4年生ごろに松山市内へ引っ越して転校した初日から、きむらバンドさんは隣の席の子にボケて笑いを取っていました。月刊芸人によると、「転校生じゃない体で」隣の席の子に「〇〇やんな~」と話しかけるボケをして、ウケたそうです。

一方で、「調子に乗っている」と見られる空気もあり、いじめの標的になりかけたと話しています。ただ、2つ上のいとこが同じ学校にいたことで、そのまま馴染めたそうです。中学校でも、怖い相手を笑わせて懐に入ることで、トラブルを避けていました。ch FILESでは中学時代を「スネ夫とジャイアンみたいな感じで、番長みたいな人とすごく仲良くなって」と振り返っています。

月刊芸人で本人は、「“笑い”っていうのは、生きる術でもあるんやっていうことを、無意識に叩き込んでたと思います」と語っています。人気者になる手段であり、身を守る手段でもあったということです。

芸人になりたい気持ちも、小さい頃からありました。ch FILESでは「ちっちゃい時から芸人はやりたくて、よしもとかジャニーズか二択だったんです」と話しています。小学生の頃に前歯が出てきたことで、ジャニーズは難しいと考え、吉本を目指すようになったそうです。小学校と中学校の校名も、本人の発言や公式プロフィールでは確認できませんでした。

進学校でバンドに熱中

高校時代について、ch FILESで本人はこう話しています。「高校はそういうヤンキーっぽい人がいない進学校で、バンドをやっていまして」。番長と仲良くなった中学時代とは対照的に、落ち着いた雰囲気の進学校だったことが分かります。

部活動には入っていませんでした。「部活には入ってなかったんで、学校が終わったら家に帰って楽器と戯れてました」と語っています。放課後の時間は、ほとんどバンドと楽器に使っていたということです。

当時の自分については、「勝手に青春こじらせちゃったパターンの高校生でしたね」と笑って振り返っています。心の中では「俺はみんなとは違うんだ」と思っていたそうです。3年生になって友だちをもっと作りたいと思うようになってから落ち着き、「3年生だけ普通に楽しかったです」と話しています。

バンドの名前は「サディスティック・ジョーカー」で、きむらバンドさんの担当はベースでした。月刊芸人では「高校の時にサディスティック・ジョーカーというバンドをやってて」と話しています。吉本興業の公式プロフィールにも、特技として「ギター、ベース」と書かれています。

ベースを選んだ理由は独特です。愛でたい四国では「ベースで巧くなろうというよりは、一番おもしろいベーシストになろうと思ってたんです」と話しています。月刊芸人では「ベースで面白いのってドリカムの人しかおらへんやん」と気づき、「ベースで面白いヤツの位置ってめっちゃ簡単に獲れるんちゃうん」と考えたそうです。

演奏の場でも、お笑い心が出ていました。「ほかのバンドが5曲やるところを3曲にして、僕がめっちゃしゃべるみたいなこともやってて」と明かしています。演奏の合間にトークで笑いを取るという形は、のちの芸人につながる原型のようです。

芸名の「きむらバンド」も、このバンド活動と関係しています。ch FILESでは、高校時代にバンドをやっていたことについて「芸名もそこからきています」と話しているのです。

きむらバンドの高校の進路と大学|松山大学から芸人の道へ

  • 進路届けから落語研究部へ
  • ローカルスターからNSCへ
  • きむらバンドの高校と学歴まとめ

ここからは、高校3年生の進路選びから、松山大学での出会い、NSCに入るまでの流れを見ていきます。

進路届けから落語研究部へ

3年生になると、進路を決める時期がきます。月刊芸人によると、進路届けには「吉本とかはダメって言われたので」、動物園の飼育員か保育士と書いたそうです。動物と子供が好きだったので、書かなければいけないからと書いたものの、「やっぱり吉本でお笑いをやりたいっていう気持ちは根底にはありました」と話しています。

その一方で、バンドへの気持ちも強くなっていました。「3年生の時にリアルに進学をどうするかってなった時に、お笑いというよりバンドでも売れたいなって気持ちが湧いてきたんです」。お笑い一本ではなく、バンドでも成功したいと考えるようになったのです。

お笑いの道に進む前の進学は、バンドで売れたい気持ちから選んだものでした。月刊芸人では「それでバンドメンバーと同じ松山大学に進学しました」と話しています。

松山大学は、松山市にある大学です。愛でたい四国のインタビューでも「地元の松山大学」と紹介されていて、きむらバンドさんは地元にとどまって進学したことが分かります。

高校の校名は確認できませんでしたが、進学校で部活に入らず、バンドに打ち込み、進路を前に自分の気持ちと向き合った高校3年間の流れは、本人の言葉から読み取れます。吉本に行きたい気持ちを抱えながら、いったんバンド仲間と同じ大学へ進んだことが、次の出会いにつながっていきます。

大学に入ったきむらバンドさんは、バンドを続けるつもりでした。ところが、月刊芸人では「大学でもバンドやろうかという矢先、落語研究会を見つけたんです」と話しています。それまで「落研」というものがあることすら知らなかったそうです。

愛でたい四国では、入部のきっかけを具体的に語っています。「当時の部長から熱心に勧誘してもらったんです。一学年上の女性の部長やったんですけど、『お笑いどうですか?』って一生懸命声をかけていて。そのガッツがすごいなと思って入部しました」。

当時の落語研究部は廃部寸前でした。月刊芸人によると、落語ができる人は部に1人もおらず、きむらバンドさんが入ったときには、ひとつ上の先輩しかいない状態です。愛でたい四国でも「とにかく1年生が入ってくれれば存続はできそうって聞いたので」と入部の事情を話しています。落語をしなくても、漫才やコントをしてもいいからという条件での勧誘だったそうです。

ここで初めて、漫才とコントに触れました。「それまでお笑い好きとか人気者とか言ってましたけど、実は漫才自体はやったことがなくて、なんとなくお調子者のノリでやってきた」と明かしています。小学生の頃から人気者でしたが、ネタを作って演じるお笑いは、大学で初めて経験したのです。

バンドで売れたいと考えていた高校生が、落語研究部で漫才に出会い、お笑いで食べていくと明確に思うようになりました。月刊芸人では「もうバンドよりもそちらにどっぷりハマって」と話し、「お笑いでメシ食いたいぞ!って明確に思ったときかもしれないですね」と振り返っています。

ローカルスターからNSCへ

落語研究部に入ってからの活躍は、地元で注目されるほどでした。月刊芸人では「実は愛媛県のローカルスターみたいになってたんです」と話しています。「地元でお笑いをやってる若い子なんてほぼいなかったのでケーブルテレビの取材がバンバン入ったり、僕だけの特集を組んでくれたり」したそうです。

それがきっかけで司会の仕事も来るようになり、サークルの全国大会のような場で結果も残しました。愛媛でお笑いをやる若者が少ないなか、きむらバンドさんは大学時代にケーブルテレビの特集が組まれるほどの存在になっていました。愛でたい四国の紹介文でも、大学時代から地元のテレビ番組に出演していたと書かれています。

部の様子も変わりました。「廃部寸前だった部が急に脚光を浴び出した」ことで大学側の見方が変わり、部費もたくさん下りるようになり、部員は一気に20人くらい増えたそうです。愛でたい四国は、きむらバンドさんが落語研究部を盛り上げて復活させたのは有名な話だと紹介しています。

愛媛でお笑いに触れる環境については、こう話しています。「愛媛ってお笑いに触れる機会がテレビしかなかったので、とにかくテレビにバンバン出たいなってぼんやり思ってました」。地元のテレビやケーブルテレビに出た経験が、芸人への気持ちをさらに強くしたと考えられます。

学生時代の思い出としては、ドライブも挙げています。「ドライブが好きで、学生時代はよく走ってました。下灘の海岸線とか、四国カルストの風景かな」と話し、大学時代には友だちが香川の大学に通っていたので、よく遊びに行ったそうです。

人気者になった一方で、大学の授業にはほとんど出ていませんでした。月刊芸人では「2回生の時点で単位が足りないと確定したんです」と話しています。2回生で大学を辞めてNSCに行こうと考えていたころ、地元でローカルスターのようになっていたのです。

結局、すぐには辞めませんでした。「授業にはほぼ出ない不思議なポジションで4年間いて、卒業式に辞めました(笑)」と本人は語っています。Number Webのインタビューでも「なんせ遊んでばかりいたんで、大学も卒業できなかったんです」と話していて、4年間在籍したものの卒業はしなかったというのが本人の説明です。Wikipediaなどには「中退」と書かれていますが、この記事では本人の言葉のとおりに紹介します。

卒業後は1年間フリーターをしてお金を貯め、NSC大阪校に入学しました。大阪を選んだ理由は、吉本新喜劇と明石家さんまさんへの憧れでした。月刊芸人では「自分の原点である吉本新喜劇とさんまさんに憧れてた」と話し、好きな先輩の今田耕司さんやフットボールアワーさんたちが全員大阪のNSC出身だったことも理由に挙げています。

NSCの最初の授業では、一人喋りで1位を獲り、「俺、すごいやん」と思ったそうです。愛媛から大阪へ出るときの周囲の反応は、応援一色でした。愛でたい四国では「家族も友だちも、地元のやつらも全員含めですけど、とにかく応援しかないんですよね。『ええやん、夢持ってて!』みたいな」と振り返っています。

NSC大阪校36期として2014年に卒業し、2016年に赤木裕さんとコンビ「たくろう」を結成しました。そして2025年12月のM-1グランプリで優勝しています。

きむらバンドの高校と学歴まとめ

きむらバンドさんの高校と学歴について、確認できたことをまとめます。

  • 1990年1月28日生まれ、愛媛県鬼北町生まれ・松山市出身
  • 小学4年生まで鬼北町で過ごし、その頃に松山市へ引っ越して転校
  • 高校は本人いわく「進学校」で、部活には入らずバンドに熱中
  • 高校の校名は、本人の発言や公式プロフィールでは確認できなかった
  • 高校時代のバンドは「サディスティック・ジョーカー」で、担当はベース
  • 進路届けには動物園の飼育員か保育士と書き、バンド仲間と同じ松山大学へ進学
  • 松山大学では落語研究部に入部し、廃部寸前だった部を盛り上げて愛媛のローカルスターに
  • 大学は4年間在籍したものの卒業はせず、1年間のフリーターを経てNSC大阪校36期へ

校名は分からなくても、バンドに熱中した高校時代、落語研究部で出会ったお笑い、地元の応援を受けて踏み出したNSCまで、きむらバンドさんの学生時代は一本の線でつながっています。これからの活躍にも注目です。

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