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『ボウケンジャー』のボウケンレッドや『ノーサイド・ゲーム』の主将役で知られる俳優の高橋光臣さん。どんな実家で育ったのか気になった方も多いのではないでしょうか。
高橋光臣さんの実家は大阪府にあり、父は不動産業を営んでいました。
高橋さん自身も大学卒業後は家業を継ぐつもりで、在学中に宅地建物取引士(宅建)の資格まで取っています。そこから俳優の道に進んだ背景には、ラグビー部の後輩の死という大きな出来事がありました。
この記事では、高橋光臣さんが語った実家と家族の話、そして家業を継がずに俳優になった理由を整理します。
目次
高橋光臣の実家は大阪|父は不動産業を営んでいた
- 実家は大阪府
- 摂津市という噂の真相
- 父は不動産業を営んでいた
- 家業のために宅建を取得
- 背中で見せる父だった
まずは、高橋光臣さんの実家の場所と、父の仕事について見ていきます。
実家は大阪府
高橋光臣さんは1982年3月10日生まれ、大阪府出身の俳優です。2022年10月からスターダストプロモーションに所属し、妻は俳優の宮下ともみさんです。
実家と家族について分かっていることを、先に一覧にしておきます。
| 実家 | 大阪府(市町村は公表されていない) |
| 父の仕事 | 不動産業を営んでいた |
| 家業との関係 | 大学卒業後に継ぐ予定で、在学中に宅建を取得 |
| 出身校 | 地元の公立中学校、啓光学園高校、東洋大学法学部 |
| 兄弟 | 本人による公表は見当たらない |
| 自身の家族 | 妻・宮下ともみさんと3人の息子 |
所属事務所のプロフィールや、母校の常翔啓光学園が公開している卒業生紹介では、出身地は「大阪府」とされています。母校の紹介によると、中学校は地元の公立中学に通っていました。
本人や事務所が明かしているのは「大阪府出身」までで、市町村や住所は公表されていません。
摂津市という噂の真相
ネット上では、高橋光臣さんの実家を「大阪府摂津市」とする情報も見られます。
ただし、これは本人や事務所が公表した情報ではありません。父が不動産業を営んでいたことから、関係がありそうな会社や地域が推測されて広まったものとみられます。
同じように、父の名前や父の会社名、「父は社長」といった情報を紹介する記事もありますが、いずれも本人が明かしたものではありません。この記事では、実家の場所は「大阪府」、父の会社名や名前は「公表されていない」として扱います。
一般の方である家族の情報は、本人が語った範囲で知っておくのがよさそうです。
父は不動産業を営んでいた
高橋光臣さんの父は、不動産業を営んでいました。
2006年に放送された『轟轟戦隊ボウケンジャー』の公式サイトのインタビューで、高橋さんは役者になったきっかけを聞かれ、次のように答えています。
「大学を卒業するまでは、父親の不動産関係の仕事を継ぐつもりだったんですが、父とケンカして『納得いかねぇ』と思って(笑)」
ボウケンジャーは高橋さんにとってテレビドラマ初レギュラー・初主演の作品で、俳優としてのスタート地点にあたります。その最初の主演作の取材で、父の仕事を継ぐはずだったことと、父とのケンカを自ら明かしていたわけです。
父の会社の規模や役職などは明かされていません。ケンカの理由についても、本人は詳しく語っていません。
家業のために宅建を取得
高橋光臣さんは、大学卒業後に父の家業を継ぐ予定でした。そのため、東洋大学に在学中に宅地建物取引士の資格を取得しています。
宅建は不動産取引の専門知識が問われる国家資格で、不動産業を営むうえで欠かせない資格の一つです。大学ではラグビー部に所属しながら、将来の家業のために勉強も続けていたことになります。
母校の常翔啓光学園の卒業生紹介でも、「卒業後は親の仕事を継ごうと漠然と考えていました」と紹介されています。
家業を継ぐことを前提に、資格まで準備していたわけです。俳優になった今も、宅建の資格は高橋さんの意外な一面として知られています。家族ぐるみで親交のある北川景子さんも、2023年に自身のXで高橋さんを「スイーツ作りのプロであり、殺陣のプロであり、宅建士資格所有者です」と紹介していました。
背中で見せる父だった
高橋光臣さんは、父について多くを語っていません。それでも、数少ない言葉からは父への思いが伝わってきます。
2025年の育児雑誌『たまひよ』のインタビューで、どんな父親になりたいかを聞かれた高橋さんは、次のように答えています。
「僕の父がそうだったんですけど、何かを直接教えると言うよりも、背中で見せていくような父親になりたいですね」
3人の息子の父になった今、高橋さんが目指しているのは、自分の父と同じ「背中で見せる父親」なのです。
車のインタビューでは、父が日本車のラグジュアリーが好きだったため、静かでふわっと包まれるような乗り心地の車に乗ることが多かったとも話していました。実家で過ごした日々の中に、父の好みや姿がしっかり残っているようです。
高橋光臣の実家を離れ俳優へ|家業を継がなかった理由
- 中学でラグビーと出会う
- 校名の「光」で選んだ高校
- 後輩の死で人生を見直す
- ラストサムライで俳優を決意
- 母への感謝と兄弟の情報
- 高橋光臣の実家と家族まとめ
ここからは、大阪で育った高橋光臣さんが、家業を継がずに俳優の道を選ぶまでを見ていきます。
中学でラグビーと出会う
高橋光臣さんは、幼い頃からさまざまなスポーツに取り組んできました。実家のある大阪で、体を動かすことが好きな少年時代を過ごしています。
ラグビーと出会ったのは中学2年生のときです。母校の紹介によると、地元の公立中学に創部されたばかりのラグビー部に誘われたのがきっかけでした。
中学に入った当初は、バンド「シャ乱Q」のファンでサクソフォンを吹きたくて吹奏楽部に入っていたといいます。運動神経の良さを知る顧問の先生に誘われ、ラグビーの道に進みました。
校名の「光」で選んだ高校
高校は、ラグビーの強豪校の中から大阪の啓光学園高校(現・常翔啓光学園高校)を選びました。理由は、校名に自分の名前と同じ「光」の字が入っていたから。本人は「キラキラした感じがした」と笑って振り返っています。
当時の啓光学園ラグビー部は100人を超える部員がいて、全国制覇を目標にしていました。周りは「化け物のような」体格の選手ばかりで、全体練習の後の居残り練習も当たり前だったそうです。
3年生のときには全国高校ラグビー大会の登録メンバーに入るチャンスがありましたが、右手の甲を骨折して大会直前に外れ、スタンドで応援することになりました。そのとき監督から言われた「悔しかったら一流になれ!」という言葉が、心に深く刻まれたといいます。
後輩の死で人生を見直す
高橋光臣さんは東洋大学法学部に進み、大学でもラグビーを続けました。卒業後は、父の仕事を継ぐつもりでした。
そんな時期に、啓光学園時代の1学年下の後輩と、東洋大学の2学年下の後輩を相次いで亡くします。「自分も明日死ぬかもしれない。やりたいことは本当にこれなのか?」と、自分の人生を見つめ直したそうです。
家業を継ぐという、実家で思い描いていた将来が大きく揺らいだ瞬間でした。
ラストサムライで俳優を決意
自分の将来を考えていたころに観たのが、映画『ラスト サムライ』です。渡辺謙さんの演技に鳥肌が立つほど感動し、自分にとって無理なもの、不可能なものは役者だと思ったことから、あえてその道を選んだといいます。
ボウケンジャー公式サイトのインタビューでは、「『役者になりたい』と思って、次の日には今の事務所に連絡してました」と話しています。父とのケンカの直後に、一気に動いたことが分かります。
2005年に『WATER BOYS 2005夏』で俳優デビューし、翌2006年には『轟轟戦隊ボウケンジャー』で初主演を果たしました。日刊スポーツによると、デビュー後もしばらくは工事現場や飲食店でアルバイトをして食いつないでいたそうです。
家業のために取った宅建の資格を持ちながら、まったく別の道に飛び込んだわけです。それでも、ラグビーで学んだ「普段の生活態度が全てプレーに出る」という監督の教えは、ドラマ『ノーサイド・ゲーム』の撮影でも生きたと語っています。
母への感謝と兄弟の情報
高橋光臣さんの母についても、名前や職業は公表されていません。
ただ、2022年の母の日には、自身のインスタグラムで「いつもありがとう。あなたがいたから私がいます。あなたが育ててくれたから私になりました。これからも元気に楽しんで過ごしてください」と、母への感謝をつづっています。
兄弟については、ネット上に「姉がいる」とする情報もありますが、本人が公表したものは見当たりません。インスタグラムに登場する「恵梨華姉さん」は、近所に住む俳優の奥田恵梨華さんのことで、実の姉ではありません。
現在の高橋さんは、2014年1月1日に結婚した宮下ともみさんとの間に、2018年生まれの長男、2020年生まれの二男、2024年生まれの三男がいます。三男の誕生は、手作りのケーキで報告して話題になりました。
高橋光臣の実家と家族まとめ
- 高橋光臣さんの実家は大阪府。市町村や住所は公表されていない
- 「摂津市」とする情報は本人や事務所が公表したものではない
- 父は不動産業を営み、高橋さんは大学卒業までは家業を継ぐつもりだった
- 父とのケンカのあと『ラスト サムライ』を観て、翌日には事務所に連絡した
- 家業のため、東洋大学在学中に宅建の資格を取得した
- 父のことを「背中で見せていくような父親」と語り、自分もそうなりたいと話している
- 中学2年でラグビーを始め、校名の「光」の字にひかれて啓光学園に進んだ
- 2人の後輩の死をきっかけに人生を見直し、『ラスト サムライ』を観て俳優を決意した
- 母の日には母への感謝をつづっている。兄弟について本人の公表は見当たらない
高橋光臣さんの実家は、不動産業を営む父のもとで、家業を継ぐ将来が当たり前に描かれていた家庭でした。その道を自分で選び直し、俳優になった今も、父の背中は高橋さんの目標であり続けています。
3人の息子の父として、俳優として、これからどんな背中を見せてくれるのか楽しみです。
